父が国語の教師だったせいか、あるいは自身が放送部に在籍していたせいか、僕は「話し方」というものに興味を抱く。
此処に書いていることも、僕の肉声で伝えられれば、それはそれでまた違った趣が与えられようというものだろう。
主義主張の立場的差異は大きくあるとしても、僕は西部 邁氏の話し方が好きだ。語彙が豊富だし、横文字の本質的で的確な引用が適度にあって、話中に引き込まれる。
面白いのは、「大きな声では言えないけど・・・」とか「小さい声で言うんだけど・・・」と前置きして、本音をズバリと言っちゃうところが痛快だ。
それにしても、我々は・・・いや僕は、なんと平板な思考形態なんだろうと自己嫌悪に陥る。ものの本質とは何か、事の正邪はどちらか、すべてが曖昧で確固たるものが乏しい。
もっと研鑽しなくちゃいけないな。

その西部氏が・・・
人間の記憶というのは、曖昧なものだなとつくづく思う。
歳のせいでもないだろうが「背景の・・・」で、過去にも書いたことを再度書くこともある。
その内容を比べてみると、微妙に違いがあるのがわかる。
過去の事実も、時とともに変形してゆくものなのかもしれない。
個人的体験を題材にした小説が、時に色濃く脚色されて行くのに似ているのかもしれない。
僕は、甘いと言われるだろうが、基本的に人間〜性善説派だから、あまりひとの悪口を書くことはないのだが、同じことを相手がどう捉えていたか、どう感じていたかは、これまた別の問題なのだろう。
異性であれ、同性であれ、今この年齢になって、ともに酒を酌み交わしながら語り合うことができたなら、どんなに嬉しいことだろう。
でも、そう思う人たちの中で、あのひともこのひとも・・・もう逢うことのできない人がいるというのも悲しい現実だ。もちろん音信不通の人もいる。所は知っているけどこちらから語れない人もいる。
結局はまた、この半バーチャルな世界で再会するしかないのだ。

これは、僕の勝手な持論かもしれないけど
きみが失ったと思っているそのことは
実は、元々離れて行くべきものだった・・・と言えるのではないでしょうか
事の原因を、自分だけに向けて考えるのはお止しなさい
自覚、無自覚のどちらであれ
為したことは、必ず己に還ってくるわけですから・・・
本人(相手)が、どんなに正当化しようが誤魔化そうが
一番よく知っているのは本人自身なんですから・・・
ただ、この種の問題は十対零ということはあり得ません
認めたくないでしょうが、必ず何某かの非があなたにもあるのです
「善因善果、悪因悪果」とはよく言ったものですね
すぐに見せられるのは幸せと言えるかもしれません
とんでもなく後で、忘れてしまったようなときに
これがあの時の答え(報い)ですと突き付けられるのは怖い話です
対等に立ち向かうことは、相手と同じ次元に落ちるとよいうことも言えるのですよ
偉そうなことを書き並べてしまいました
読んだら一度忘れてみてください
そして、落ち着いたときに、もう一度読んでみてください
<人間の味>というものは、年を重ねる毎に増して行く。
僕が当時の彼女に誘われて観に行った映画が「卒業」だった。
当時、僕はダスティン・ホフマン演じる男と同世代だった。
映画に誘った彼女は、僕より5才年上だったわけだが、その中身に自らの想いを代弁させたのかもしれない。でも、これは随分と時を経てから思い至ったことだ。
今も思い出す残像としては、黒い下着や、教会の窓を叩いて彼女の名を叫ぶ姿や、S&Gの音楽だ。
その作品を介して、僕に彼女がどこまで語ろうとしたのかは、後々になって気付いたことである。
今日、はるか時を数えて、ダスティン・ホフマン(&エマ・トンプソン)主演の映画を観た。
数々の経験を経た人間でなければ、語れない言葉がある。仕草や表情もある。
ありのままの自分を、そのまま曝け出せる相手は、そうざらにはいない。
ましてや、ともにそれを認め合える相手ともなれば・・・。
どんなに挫折を経験しようが、年を重ねていようが、そういう対象者に巡り会えた人は、世界一の幸せ者と言っていいだろう。
真実っていうのは、語られないものなんだな。
資本主義、自由主義、民主主義・・・聞こえは良いが
内実は、どうもそうでもないらしい。
地球的規模においてさえ、ごくごく一握りの資本家、政治家たちが
今度はどこで、独裁打倒とか自由奪還の名のもとに戦争をおっぱじめようかという
わけだ。
新技術は当然、次の新技術へと繋がるわけだから際限がない。
古い爆弾をどこで使ってしまおうか。
新しい兵器をどこで試そうか。
これでは、地球を舞台にした戦争ゲームだな。
イノベーションがちっとも人間にやすらぎをもたらさない。
カダフィやフセインやムバラクの時代の方が良かった〜になる。
もっとスローに行こうよ・・・てならないのかな。
僕の極端論〜「鎖国しよう!」
「百姓しよう!」
「自給自足で行こう!」
「だめなら、土の肥しになろうぜ」
