人間の心理とは不思議なもので
「この人とは、ひとつ屋根の下で同じ空間の空気は吸いたくない」と
思う人も居れば、どんな状況下であれ、「ずっと一緒に居たい」と思う人も居る。
僕自身は、比較的その許容範囲は広いつもりではあるが、やはりノーとしか
言えない人は、確かに存在する。
いわゆる「肌が合わない」とか「相性が悪い」とかいうやつなんだろう。
そいう対象者たちを、「個性的」とか「「独自色」とか言う誉め言葉を
使うひともいるが、僕に言わせてもらえば「わがまま」「意固地」としか
映らない。
何も語らなくても、ただ傍にいるだけで心が安らぐ・・・そんな存在で
居たいし、そんな相手がいてくれればうれしい。

方言と言えば、朝の連続テレビ小説の舞台である「松江」も<出雲弁>と称される
独特の方言がある。すべてが理解不能な鹿児島弁とまでは行かなくても、かなり
難解な言葉ではある。あの松本清張の推理小説にも、東北弁と間違われるくらいの
重要な素材として扱われるほどの言語だから、かなりの訛りなんだろう。
テレビの中では、さすがにすべて方言でとまではいかないようで、所々に
散りばめられていて、脚本家さんのご苦労がうかがえる。
「そげかね、そぎゃんなことがあったかね、わしゃ知らんかったけんね」
「何かあったら、わしにも知らせてごせや、待っちょうけんね」
これは僕の思い出しコトバである。こんなんだったかな?
アメリカ出身のタレントが山形で暮らして、現地顔負けの山形弁を喋るのは
有名な話である。そしてそのアメリカでさえ、地方によってまったく言葉が
通じないということもあるそうだから、言語学は奥深い。
今日のニュースに書かれていた・・・ドジャースの佐々木投手が、大ピンチで
登板した時、相手チームの観客に猛烈に野次られたそうだが、その言葉が理解
不能でちっとも堪えなかった・・・とか。
もうこうなったら僕の得意技?「目は口程に物を言う」で行くしかないかな?
前述の鹿児島の人が大真面目で言っていた・・・「私たちは二か国語を話す」
確かに!

朝ドラで話題の「小泉八雲」ですが、その曾孫であられる「小泉 凡」さんと
僕の父との絡みごとがあって、そのことを小紙に綴ったものがあったので、
探し出しアップしてみた。
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僕の実母が他界して、隠岐の島から松江に出た時、最初に住んだのが、
松江城の北側にあたる北堀町というところで、そのすぐ近くに
ヘルン旧居跡があった。当然ながらその頃の僕にハーンの意識など
これっぽっちもなかったのだが、厳かな千鳥城とその城を囲む優雅な堀
や武家屋敷の街並みには、子供ながらに感動したものだった。
実はそれも後々思い返せば・・・の話で、現実的には「間借り生活」の
窮屈さやいじめの記憶の方がはるかに大きい。
それにしても後々に知った話ではあるが、大橋で結ばれた城のある北と南の
差別的な社会事情には少々驚かされた。


♪しゃれた日焼けに 涙が流れる
あー 秋かしら
やさしく 説くように別れを告げた
あなたでした
こころの水面に さざ波が立って
あー 秋ですね
鏡を見つめて小さな声で
一人でつぶやく 秋の詩
季節の変わり目を
あなたの心で 知るなんて
もう恋も もう恋も 終るのね

♪好きな曲ばかり ラジオに流れる
あー 秋かしら
私のわがままに いつも微笑んだ
あなたでした
深い空から 枯葉が舞って
あー 秋ですね
あなたが返した 合鍵が似合う
無口な 私になりました
季節の変わり目を
あなたの心で 知るなんて
もう恋も もう恋も 終るのね
別れ北風が
あなたと私に 吹き込んで
もう冬も もう冬も 近いのね

「薩摩の女」(2024.11.29)で書いた・・・