新人研修の一環として、僕たちは離島に派遣された。
たしか一週間くらいだったと思う。それぞれの新人に補佐的に先輩たちが
同行したのだが、僕担当の人は彼女だった。選別者がどれだけの密度を
察知していたかは知らないが、明らかに意図的な配属だった。
どこまでも広がる水平線・・・
二人で小舟に寝転んで見た満天の星空・・・
淡く、純粋なスタートラインだった。

♪・・・あなたがいつか
この街離れてしまうことを
やさしい腕の中で
聞きたくはなかった
まるで昨日と同じ海に波を残して
あなたをのせた船が
小さくなってゆく

誰とは言わず、それぞれの人生に「時代性」は欠かせない。
こんな時代だから…とか,あんな時代であったなら…とか、誰しも思うところだろ
う。よく、「大正時代は良かった!」という話は聞く。昭和の戦後生まれの僕でさ
え、大正ロマンとか聞き覚えがある。明治の人は気骨があったとか、耳にするけれ
ども、昭和と言えば、六十年以上もあったわけだから、戦前、戦中、戦後という区
分けをされるのも必然的なことだろう。
自分の世代以外だと平成、令和となるととんと時代感覚は浮かび上がって来な
い。リアルというのは振り返る余裕を抹殺してしまうのだろうか。
著名人が消えてゆく。名もなき人たちも消えてゆく。
生あるものは、必ず死ぬ。それを言い聞かせ、言い聞かせしても、
どこかで自分はまだ死なないと思っている。

「善因善果、悪因悪果」と言うが、さっきコレをしたからすぐに結果が出るという
ことばかりではない。何十年の時を経て、出てくる答えもあるわけで・・・。
しかし悲しいかな、そうした時の流れは、「因」なるものを忘れさすことも多々
あるわけで・・・。
さらに怖いことには、何十年も経って出てきた答えの贖罪を試みようとしても、
当の本人が呆けてしまったのでは、それも叶わないわけで・・・。こればっかりは
代行というわけにもいかない。
善行と悪行・・・これは足し算、引き算が通用しない厳格な世界だ。「これだけ
悪いこともしたけど、これだけ善いこともしたのだから引いてくれ」が通用しない
世界だ。善悪ともにやったことはやったこととして、そのまま厳然と残る。
