君はコスモスが好きだと言っていた
だから、この季節になると、僕は行く先々で
無意識のうちにコスモスを探す習性が身に付いてしまっていた
もうあれから随分と時が過ぎてしまっているというのに
郊外にある建設現場に着いた時、隣が一面のコスモス畑だった
僕は躊躇なくスマホのカメラに収めていた
花言葉は色によってちがうらしい。調べてみれば
白〜優美・美麗 赤〜乙女の愛情 ピンク〜乙女の純潔 etc.
どれも彼女にピッタリの花ことばだ
短いメッセージを添えてメールした
年に二、三回のことだ
誕生日とグループ仲間の音信とくらい
即刻で返信が来た
花言葉通り、乙女のような絵文字が添えられていた
変わらないんだな〜
僕は、そのまた返しをできない
しばしその余韻の中に心を埋めていたかった
昔の数々の思い出のシーンの中で・・・

〇「母性愛欠乏症」と自虐的に書いたりしてきたが、幼くして母親を亡くした
男は、異性に対して、常に観念的で、bookishであるらしい。
〇何(誰)が正しくて、何(誰)が間違っているのか、先になってみないと
分からないことが多すぎる。ここらで深呼吸してみよう。
えっ!なのか、やっぱり!なのか
〇「世代とは、他の世代に対する敵対者である」 五木寛之
・・・同感なり・・・
〇「真のユーモアの源泉は哀愁である」 マーク・トウエイン
〇「アサガオの蕾は、朝の光によって開くのではない。それに先立つ
夜の時間の冷たさと闇の深さが不可欠である。」 アサガオ研究家
〇スローライフ ☆ シンプルライフ は、もはや死語か?
こんな時だからこそ!という自分がいる・・・
〇父 曰く 「九月一日は亡妻の日」
〇富の偏在・・・「点」を消して、無意味に広がり行く「面」の現実
〇「愛する」の対義語は(憎む)ではなく、「無視」「無関心」
だそうです。マザー・テレサでしたっけ?
〇誕生と言うことは、死への第一歩を踏み出すこと。
〇「人はみな泣きながら生まれてくる」 シェークスピア
〇「死ぬべき人間を死為さずに生かしておくことが、はたして
本当の医学の勝利なのだろうか・・・おだやかに死んでいくことに
導くのも医学の使命ではなかろうか」 五木寛之
〇プー太郎のころ、バイトが退けたら仲間たちと細い階段を昇ったところに
その店はあった。夜のスナックになるまでの小一時間、僕たちはコーヒー
一杯でジュークボックスを聴いた。ストーンズやデイ−プパープルが主だった
が、あの時!拓郎の「結婚しようよ」が、みんなにある種のショックを
与えた。それを機会にそれぞれが一人また一人と現実の中に組み込まれて
いった。長髪を切りネクタイを締め社会の入り口に向かうかのように・・。

物事の判断に、時代性は欠かせない。
いや、そのほとんどが時代に組み込まれ、翻弄されていると言っていい。
自身を語れば、やはり僕の時代は昭和だろう。
昭和に生まれ、育ち、もがき苦しみ、喜びを享受し、幾多の別離を体験した。
やせ我慢じゃなくて、苦しみの無い人生は無意味に等しい。
その時その時を達観して生きて来たわけではないが、他人さまから見て
<世捨て人>的志向と行動であったことは間違いないだろう。
常に、もう一人の自分が斜め45度上から監視(?)していた。
それは、僕なりの解釈では、もう一人の自分は<亡き母>なんだと思う。
この世に居なくても、見つめ、監視し、守り、励まし、助け、時に身代わりに
なる。
その僕の誕生日が明日であり、母の命日が明後日だ。