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なにくそ!

僕の背中には  

常に

なにくそ!

と書いてある

裏切りに対しても 

蔑みに対しても

見下しに対しても

事はぎりぎりの所から

再生する

posted by わたなべあきお | - | -

京都ラブストーリー��

 普通の男なら、その段階でピンと来そうなものだけど、そこは鈍感男の面目躍如?ひたすら真面目にレッスンは進んだ。ん?と思い始めたのは予定時間の終了間際。先生はどこか余所余所しく終わりを告げたのだった。後々考えれば、年齢は近かったにしても、相手はミセスであり、第一先生と生徒の立場関係からすれば、次のストーリーは考えられなかった。

 次のレッスンの帰り道、車の中で先生が呟いた。「この間はゴメンナサイ・・・
さびしかったの・・・」と。その時、初めて知った。旦那は京都では、いや関西エリアでもそこそこ名の知れたロックバンドのリーダーであり、ボーカルだった。彼がアメリカで放浪の旅をしていた時に知り合い、そのまま日本へ付いてきたらしい。彼自身に、そしてグループの仲間に、どんな日常が展開されていたのかは、僕にも分からない。しかし僕とは真逆の世界があったに違いないことは想像できた。

 田舎者の僕が純粋とは言わないまでも、特殊な世界の色に染まっていない一面が先生には新鮮に映ったのかもしれない。車を停めて、じっと前を見ながら話す先生の頬に涙が伝った。金髪と産毛が対向車のライトに照らされて・・・外国映画のワンシーンのように感動した。「さあ、行きましょう!」自らに言い聞かすように先生はアクセルを踏んだ。助手席で僕は考えていた。先生と付き合い始めて、着るものもジーパンやボタンダウンのシャツが定番になっていたし、髪も伸ばしたままで二人並んで歩いても、まったく違和感のない間柄になっていた。いつの間にか。

 ふたりのことを、クラスの女性たちは敏感に感じ取っていた。直接には言わないけど、「先生、わたなべさんに優しいよね」とか「いつも帰り一緒だね」とか言われた。僕はただ笑ってやり過ごしだけだった。あまり突っ込んで聞かれると、「出来の悪い生徒ほどかわいいもんなのさ」なんて答える自分がいた。

 最初の「プリテンド」の忠告通りに、僕はまさに先生色に染められて行った。臆病で無口な恥ずかしがり屋は、真逆とは言わないまでも、ちょっと自信めいた自分を主張できるようになっていった。先生なりの工程表に乗って、変わって行く僕を、先生はどんな心で、どんな目で、見続けていてくれてたのだろう?

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二人の自分

「あなたは、いつもどこか遠くを見ている・・・」

言われて初めてハッとする

でも、その時にはもう遅い

一番大切な人が遠ざかってゆく

僕の本意に反して

消えて行く

無意識の幻想

僕は何を求めて

何を夢見て

遠くを見ていたというのだ

僕は・・・やはり・・・

ふたりの自分を生きている


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京都ラブストーリー��

 英会話学校への入学手続きを済ませ、僕は一回目の授業に向った。クラスは七人編成で、男性は京都大学の大学院生が一人、京大生が一人、そして僕。女性は社会人が二人、大学生が一人、そして高校生が一人だった。

 先生はアメリカ人でMrs.ステッファニー柴田と紹介された。ブロンズのロングヘアーでスレンダー美人だった。初日と言うことで自己紹介で始まり、僕以外の皆はスラスラと答えて行った。困ったのは僕だ、まさかぷー太郎と言うわけにもいかず、名前と年齢だけに止めておいた。

 先生は柴田姓と言うからには、旦那が日本人なのだろうと、あまり深くは考えなかったのだが、後にその旦那の中身を知った時には、正直驚いた。

 レッスンが進むにつれて、僕は自己嫌悪に陥った。それは明らかなボキャブラリーの貧困だった。大学院生や大学生に比べて、その差は歴然としていた。正直に言って女子高生と同程度だったのだ。これは内心少なからずショックだった。

 しかし、五回目を過ぎたころ、事態は急展開した。レッスンの後、先生に声をかけられた。「ちょっと時間ありますか?」「はい」誘われるまま僕は先生の車の助手席にいた。車はスバル360で始動キーは無く、電線をショートさせて起動させた。驚く僕に先生はちょっと微笑んで車を走らせた。

 着いたのは喫茶店。光を落とした薄暗い店だったが、若者が多くざわざわとしていた。一番奥の席に座って、先生はコーヒーを注文した。そして、僕に告げた。
「あなたに個人レッスンをします。教材はこれです」と言って、小学三四年生の漢字ドリルを差し出した。「あなたは、これを使って私に日本語を教えてください。もちろん英語で」そして、ギブandテイクだからレッスン料は要らないと。

 最初に彼女が僕に言ったことは、言わば田舎者で世間知らずそのものの僕に、「pretend」を求めた。大袈裟なくらいに演技してみろと言うわけだ。そしてさらに彼女は言った。「あなたは言葉は少ないけど、伝わってくる何かを持っている。」と。会話ではなく単語の羅列のような大学生ではダメだというわけだ。あくまでも現実生活の中の生きた会話〜それを求められ、大きな刺激を与えられたわけだ。

 この課外授業は一年以上続いた。いや、続けて頂いたと言うべきだろう。そうした中、僕の女性コンプレックスや外人コンプレックスは、徐々に薄らいで行き、内面的変化が自分でも自覚できるように成っていった。

 真夏のある日、事件(?)は起きた。先生が「今夜は喫茶店ではなく、友達の部屋が空いているから、そこでレッスンしましょう」と言ったのだ。



 

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赤ちゃん返り

「赤ちゃん返り」は永遠に続くものだと思う

幼少時に奪われたものを求めて・・・。

七十を越えた今だって・・・

普通の人には

陳腐極まりないだろうけど・・・

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ひ・と・り

おかあさんのいない少年時代なんて
仮想劇のようなものさ
追いかけても
探し回っても
そして・・・泣き叫んでも
いつも夕暮れの薄暗い街角に
 
ひ・と・り


人生はいつも青春
いつも心の流離い
からだの大きくなった
心は少年のままの男が

ひ・と・り


代役はたくさんいたよ
みんなやさしかった
包んでくれた
そのぬくもりのなかでも
泪が頬を伝うのはなぜ
やっぱり僕は

ひ・と・り



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京都ラブストーリー��

 叔母の意見もさることながら、僕自身の考えもあって、悦ちゃんとは付き合わないことに決めた。いつも優柔不断の僕にしては珍しく、丁寧に説明してその旨を伝えた。彼女の目に光るものがあったのは言うまでもない。心を鬼にして・・・とでも言うことか。

 わずか半年しかない受験準備は焦りを覚えた。さすがに二年間のブランクは大きい。予備校へでも通っていればまだしも、まったく勉強に関しては空白であったわけだから。

 試験当日、僕は愕然とさせられた。最終の論文形式の問題の時だ。設問に対するまともな考えや言葉が出てこないのだ。浮かんでくることは、宗教的教義に裏付けされた言葉たち。自分の中では至極真面目なのだが、世間的に言えば全くとんちんかんな文章が書きこまれてゆく。マインドコントロールとはこのことか!と我ながら愕然とした。

 予想通り、結果は不合格。父の願いだった〜教師の後継も夢のまた夢となってしまった。中学、高校時代のあの好成績は何だったのか?勉強のための勉強だったのか?挫折と言うより、自身で克服すべき課題への自意識がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 時を同じくして、叔母の伴侶が倒れた。脳梗塞だった。叔母はお茶とお花の先生をしていたが、それだけでは家計はまかなえず、当然ながら叔父の仕事の収入が大半を占めていた。仕入れ先の社長が「あきお君にその気があれば、借金は棚上げにして事業を継続できるようにしてもいいよ」と言ってきたが、正直、その気にはなれなかった。叔母は期待していたようだったが・・・。「お花の生徒の○○さんはどう?」などと言われた。

 僕自身もお花を習っていたので、叔母の言う彼女には好感を抱いていた。しかし、いわば高嶺の花的存在であって、不釣り合いも甚だしかった。ここでまた僕は違った意味で非情になって、外で働くことにした。もちろん正式な就職ではなく、アルバイトでお金を稼ぎ、夜は英会話学校に通う計画を立てた。それまで漠然と抱いていたアメリカ行きが現実化してきたのだった。

 叔母は所有していた一軒の家を売り、何とか食いつなげる状況にはなった。僕はアルバイト探しに走り回った。情報誌から百貨店の裏方の仕事を見つけた。店内の商品の運送は遠慮して、従業員や荷物専用の、手動式エレベーターのオペレーターを志願した。外国映画によく出てくるあれだ。週給制で土曜日にはお金が貰えた。

 手動式エレベーターは3台あって、高速、中速、低速だった。高速は慣れるまでが大変だった。例えば五階に止めようと思えば四階を過ぎた微妙なタイミングでハンドルをオフにしなければきちんと床レベルに合わせることができなかった。失敗してその階に止めらないこともしばしばだった。

 30分で交代だった。最上階の屋根裏にある機械室が休憩場所だった。ギーガタン、ギーガタン、そんな音の中で眠る者もいれば読書に耽る者もいた。現役大学生、浪人生や所謂ぷー太郎と様々な連中の集まりだった。

 百貨店は一つの小社会だと実感した。地下売り場から屋上まで、まさに世の中の縮図があった。そしてそれぞれの売り場によって人間性を垣間見ることもできた。従業員食堂へ行く各売り場の女性たちにはその感を強くした。一回の化粧品売り場の香水ぷんぷんの彼女たちにはよくからかわれた。二階の着物売り場の彼女たちは清楚そのものだった。僕が一番安心できたの地下の食料品売り場の彼女たちだった。気さくに話しかけてきて明るさ一杯だった。

 運転にも慣れてきた頃、その地下売り場の一人の女性と仲良くなった。単純な労働の中で、彼女と会うことが喜びとなって行った。交代時間のせいで会えない時は寂しく思うほど。

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京都ラブストーリー��

 悦子さん、この名前の女性に僕はなぜかしら縁がある。少なくとも四人の悦子さん。偶然なのか、何かしらの意味を含んでいるのか、それは知る由もない。

 松江市の宗教施設からの脱出に成功した僕は、京都の叔母の家に転がり込んだ。もちろん追っ手が来るのは覚悟していたけれども、命までも狙われることは無かろうという一種の安心感は持っていた。事実、居所までは突き止められたけれども、直接の関わりは一切無かった。僕が犯罪者であるわけでもないのだから・・・。

 僕が高校卒業後18歳で専従職員になった同期の六人の中に、悦子さんもいた。彼女も同い年だった。広島に近い山奥の村の出身で、お父さんは確か支部長かなんかの要職にあったと記憶している。「あきおくん」「あきおくん」と呼んでくれて、引っ込み思案の僕を包んでくれた。

 その悦子さんと同郷の先輩が、これまた悦子さんで、こちらの悦子さんは、僕の境遇をよく理解してくれていて、まるで姉のように、時に母親のように優しく温かく接してくれた。

 京都に来て半年くらい経ったころ、同期の悦子さんから手紙が届いた。なんと彼女も京都に来ているという内容だった。新京極のちょっと名の知れた洋品店で働いているという内容だった。一方の僕は、二年遅れの大学受験を目指していて、その準備に取り掛かった時期だった。

 叔母は、異性からの手紙に敏感に反応して、それとなく釘を刺してきた。「今は大事な時期だから・・・」と。もちろん僕自身も同感で、それどころではないという気持ちだった。しかし、それでもいちどは会って話さなければと思い、、叔母に内緒で会う約束をした。

 久しぶりに会った彼女は、職場の所為もあるのだろう、随分と垢抜けして輝いて見えた。そしてやはり怖れていた核心部分に入り、彼女から「あきおくんを追いかけてきた」という言葉が飛び出した。「・・・・・・・」僕の心中は複雑極まりなく、言葉が出なかった。無言のわけを知られまいとすればするほど、居心地の悪い時間が過ぎていった。カチ、カチ、カチ・・・と時計の秒針と心臓の鼓動が混ざり合うように、僕の心を締め付けた。

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軽蔑

いくら鈍感な僕だって

ひとの良し悪しは分かるさ

せこい奴 ずる賢い奴 お世辞上手な奴

うわべだけの奴 口先だけの奴

僕が黙っているからと言って

うまく逃げ通せたと思いなさんな

この庶民社会然り

表舞台と言えるか疑問だが

政治の世界然り

僕は徹底的に無視するね

それが僕の軽蔑の表現だよ

もの言わぬ草花の方が純粋だよ





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ささやかな空想

そっと名前を呼んでみた

あなたの名前を呼んでみた

暗闇の彼方から

木霊に似た返事がしたような

嬉しい錯覚を覚えた

そして厚かましくも

その木霊を僕の名前に置き換える自分がいる


あなただけが他の人とちがっていたね

ちゃん付けではなくて

丁寧にさん付けだった

親しみとそれ以上と

聞き分ける語感に

心の重さを感じる僕だった

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