安心しいるということは、
能天気に油断しているというのとはまったく違う。
物事にかしこく対処し、注意をはらい、
生きることに努力しながら、しかも根底では
安心している・・・。
そういう人間であろうと絶えず己に言い聞かせることだ。
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「正しいやり方を繰り返しなさい」
正しいやり方は、最初は難しいし、
何度繰り返しても身につきにくい。
だからいつのまにか、正しくないやり方へと
逃げてしまう。
だが、あきらめず、ひたすら繰り返していれば
いつか難なくそれができるようになる・・・」
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「草原の椅子」(宮本 輝)
やると決めたことは、倦まず弛まずやりつづける。
たとえ進み方がカタツムリのよりも遅いほどであろうとも、
生きているかぎりやめようとしない。
目くじらを立てることもなく、鼻息を荒くすることもなく、
決意を声高に語ることもなく、やると決めたことを
途中でやめたりはしない・・・。
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ありとあらゆる人間が、
ふるいにかけられているんじゃないかって気がするよ。
人間だけでなく、国というものも。
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「やっかみ深い民族だよ。
なにかっていうと他人のことに干渉しやがる。
そのくせ自分が干渉されると
自分の間違った考えや行ないを棚に上げて
逆恨みするんだ。」
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「草原の椅子」(宮本 輝)

人間は弱くて脆い。だが、不思議な強さと復元力もまた隠し持っている。
そうでなくてどうしてこの矛盾に満ちた人生を生き抜いていくことができよう。
「日本は、もういたる所、政治家や役人の既得権と私利私欲が大手を振って歩いてる。
民衆はなんで怒れへんのやろ。いつのまにか、日本人は正義を忘れてしまいよった。
日本人を、こんななさけない、卑屈な民族にしたのは、いったい誰なんやろ・・・・・」

「ひとつのことが、ちゃんとできるやつは、ほかのことも、ちゃんとできるんや、つまり、
その逆のケースは、ほとんどないっちゅうことや。ひとつのことができんやつは、
ほかのことをさせても、結局、あかんちゅう場合が多い」
草原の椅子(宮本 輝)
「魔がさしたんだな」
憲太郎は、そうつぶやき、フンザで撮った写真のなかの、山羊の群れと一緒に歩いて行く自分のうしろ姿を見つめた。この一枚の写真には、自分という人間のすべてが写っているように思えてきた。自分の過去と現在の、ありとあらゆる様相が、自分のうしろ姿に閉じ込められている、と。
もしそうなら、未来を暗示させるのも、どこかにひそんでいるはずだ。憲太郎は、その気配をみつけようと、長いこと写真に見入った。
憲太郎は、どうも日本の親子関係というのは、本来の日本人のやり方とは合わないのではないかと思った。子どもの個性とか自由とかを尊重するというのを大義名分として、わずらわしさから逃避しているのではないのか。親子に葛藤があるのは当然なのに、それを避けて、いかにも、物分りのいい、干渉しない父や母を演じようとしている。
草原の椅子(宮本 輝)
「知的な人は、常に何が正解かわからない、と考える。
何かに強い確信を持つのは、いつも知的でない人のほうだ」
(ジョージ・バーナード・ショー)
現代社会は、「どちらが正しいか、間違っているか」が何よりの争点で
それぞれの感情の処理には、まったく思いをめぐらせない。
間違っていると断罪される側にも、言い分はあるし、
止むなくその側におかれている場合だってあるわけで・・・。
ただそれを言葉にしてしまえば、相手の反感を増幅させるだけであって
結局は口を噤むことになってしまうのです。
立場が逆転した状況下で、相手がどう出るか、何を語るか
それは冷静な意識のもとで、興味深いことではあります。
