「魔がさしたんだな」
憲太郎は、そうつぶやき、フンザで撮った写真のなかの、山羊の群れと一緒に歩いて行く自分のうしろ姿を見つめた。この一枚の写真には、自分という人間のすべてが写っているように思えてきた。自分の過去と現在の、ありとあらゆる様相が、自分のうしろ姿に閉じ込められている、と。
もしそうなら、未来を暗示させるのも、どこかにひそんでいるはずだ。憲太郎は、その気配をみつけようと、長いこと写真に見入った。
憲太郎は、どうも日本の親子関係というのは、本来の日本人のやり方とは合わないのではないかと思った。子どもの個性とか自由とかを尊重するというのを大義名分として、わずらわしさから逃避しているのではないのか。親子に葛藤があるのは当然なのに、それを避けて、いかにも、物分りのいい、干渉しない父や母を演じようとしている。
草原の椅子(宮本 輝)