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背景の記憶(220)

人ごみの中に君を探した

なにか目印を聞いておけば良かった

快活な若者たちの中では息苦しい

僕はビルの隅っこに身を置いた

行き交う人々が川のうねりのように見えた

こんな時は動かないことだ

腕組みをして目を閉じてみる

君の笑顔が浮かんだ時

肩をトントン

ほら、やっぱりね

さっき見たそのままの笑顔の君が立っていた

目と目で会話して

僕たちはゆっくりと歩き始めた

握り合った手と手の会話もいつも通りだ

そんなふたりを背中の夕日が

僕たちの前に長い影を作った

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背景の記憶(219)

擬人法を学んだのは、たしか中学一年生の国語の時間だったと思う。

僕は何を擬人化して詩を書いたのだろう?

具体的な中身までは思い出せないが、先生に取り上げてもらった記憶がある。

おそらくは、草木や空の雲や虫たちだったのではなかろうか。

はるか時を超えて、思い出す歌がある。



♪もうすぐ春がペンキを肩に

 お花畑の中を散歩に来るよ

 そしたら君は窓をあけて・・・28.4.12-5.jpg

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背景の記憶(216)

馬が一頭いた。
牛も二頭いた。
鶏は記憶がない・・・生まれ故郷〜隠岐の島の家のことだ。

小さな手漕ぎ舟があった。
網や銛や釣り道具もたくさんあった。
晩のおかずの魚釣りや貝採りは子供たちの役目だった。
今や高級品のアワビやサザエもすぐ近くの岩場でふんだんに採れた。

家の横の畑では、野菜が栽培されていた。
ちょっと裏山へ足を延ばせば、柿・みかん・あけび・栗などの木があった。

半農半漁の生活・・・給自足的生き方とは、こういうものだと今つくづく思う。

冬の夜は、ランプの下で干したスルメイカの背中を伸ばして束にするのが
子供たちの役目だった。
囲炉裏は暖かく、団らんの場としては最高だと今でも思う。

風呂焚きも子供の役だった。
山水の溜め場から水を運び、まき割もした。
新聞紙から始まり、松葉から木の枝へと火を熾していった。
五右衛門風呂が懐かしい。
底板を踏む技術が思い浮かぶ。

母屋から離れたところに便所があった。
夜遅くに行くときは、本当に怖い思いをしたものだ。
懐中電灯が超貴重品だった。

今も忘れられない光景がある。
高台にあった家から入り江がきっちりと見下ろせた。
ボォ〜という汽笛を響かせて定期船が入ってくるのが見えた。
絵葉書に最適と思われるような素晴らしいアングルだった。

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背景の記憶(214)

懐かしいのは
きみの吹くハーモニカ
あざやかな半音の切り返しに
クシコスの郵便馬車は飛ぶように走り去る

想い出の歌は
合唱コンクールの課題曲
なぜか先輩たちの年の「花のまわりで」が好きで
アルト担当部分の「♪まわ〜る」をいつも口ずさんでいた

小気味よかったのは
バスケ部のきみのパスまわし
ブラインドもバウンドもオーバーヘッドも
意のままにゲームをつくるきみが眩しかった

清々しかったのは
牧場の柵にもたれていたきみの横顔
長い黒髪をそよ風に透かせて遠くを見ていた
声をかけるのも躊躇われて僕はしばし見とれていた

頼もしかったのは
きみのドライブテクニック
サファリスタイルの車が似合っていた
「ナナハンにも」の話には想像するだけでもかっこよかった

羨ましかったのは
きみの書く流れるような文字
左利きを直された僕の角々文字とは真逆すぎて
もらう手紙は嬉しかったけど、出すのはほんとに恥ずかしかった

驚かされたのは
突然後ろから差しかけられた赤い傘
僕は濡れながら腰を屈めてとぼとぼと歩いていた
バス停で手渡された時、恥ずかしさと嬉しさでずっと握りしめていた
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背景の記憶(212)

僕の書いたシナリオを
何ページも飛ばして
きみは目の前にいた
そして・・・
分厚い冊子を一気に閉じてしまった

驚く僕を
きみは笑いながら見ていた
「省略、省略!」
僕には意味不明の言葉が
エコーのように響いて
頭の中を占領した

手順も階段も必要ないほど
二人の心の距離は近すぎて
大人のフリをする僕の心を
きみはあっさりと裸にしてしまった

そのスピードに戸惑って
その大胆さに驚いて・・・
それをまた面白がるきみがいて
僕はまったくお手上げさ



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背景の記憶(209)

小学校時代・・・
「あそこは行っちゃダメ!」という場所へ、僕は普通に遊びに行って、ワルと言われていた彼のお母さんに、夕ご飯までごちそうになって帰った。
教師の父は、そのことを耳にしていたのだろうけど、僕には何も言わなかった。

同じく小学校時代・・・
休みがちの同級生の家へ、学級委員として誘いに行った。あの時代はほとんどが粗末な身なりではあったけれど、彼は特別だった。僕自身は、そこまで深くは考えなかったから、言わば軽い気持ちで誘いに行ったのだが・・・彼の鋭い眼差しに跳ね返された。お母さんの目は、彼ほどではなかったけれど、それでも拒絶する目に変わりはなかった。僕なりに、「僕は甘いな・・・世間を知らなすぎるな・・・」と落ち込んだ。

中学校時代・・・
卒業を目前にした予餞会。各クラスがそれぞれに出しものをした。コーラスあり、寸劇あり、いろいろだった。僕のクラスは、僕自身の統率力の欠如もあって、まとまらなかった。そんな時、クラス一のワルだったU君が、「オレがやる」と申し出た。みんな驚いたが、やがて拍手が沸いた。彼はヘアースタイルもそっくりにして舟木一夫の「高校三年生」を歌って拍手喝采を浴びた。

高校時代・・・
僕自身が落ちこぼれた。・・・というか、自身の意志で意図的に脱線した。進学校の中での独自路線は徹底的な晒し者になった。職員室で「壁に向かって立っておれ」と言われたこともあったし、クラスメートの冷ややかな目線も辛かった。救いは担任のK先生と隣の席のKさんだった。先生は、あらゆることを踏まえた上で理解してくれて陰ながら応援してくれた。Kさんは、賢いけれどぐれた様なところがあって、妙に僕の心の奥を見透かしていた。彼女も親が教師だったのかもしれない。後年、同窓会で一緒になったとき、彼女に言われた。「オウム事件の時、てっきりわたなべ君だと思ったんだから・・・」と。

無意識のうちに、僕は人の心を、特にその裏側を見てしまう、見えてしまうところがあったのかも知れない。28.2.1-7.jpg

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背景の記憶(208)

前記事の内容に似て、僕にも似通った経験がある。あれは高卒後の18歳のことか・・・僕はある宗教団体に所属していて、専従布教師の見習いとして、岡山県にある支部に派遣された。先輩先生のもとで種々勉強をさせていただいたわけだ。

ある日の事、未舗装の道路を先輩の運転するバイクの後ろに乗せられて走行中、車輪が砂利に引っ掛かって左右にぶれた。そのはずみで僕は後方に大きく振り落されて、顔面と言わず腰と言わず路面に激しく打ちつけられしまった。

その直後のことはまったく記憶がなく、気が付いたら僕は布教所の布団の上に寝かされていた。事故後まる二日、僕が記憶を失っていたらしい。所属していた宗教団体は、教義として余程の事がない限り、病院へは行かなかったのだ。

意識は回復したが、打撲は凄まじかったようで、僕は寝返りさえうてない状態だった。眼鏡と時計のせいで、右の眉毛の横と、右手首にかなりの傷を負っていた。一旦目覚めたものの、その後はまたしても昏睡状態となり眠りつづけたらしい。

布教所はご信者である農家の母屋の離れの二階にあった。母屋には横須賀に嫁いでいた娘のA子さんがお産のため帰省していた。25〜26才だったろうか。すでにお産を終えた身で、そのひとが僕の世話をしてくれた。赤ちゃんのことだけでも大変だったろうに、意識のない時も、ずっとそばにいてくれたらしいかった。

身体を拭いてくれたり、包帯を取り換えてくれたり、おそらくは下の世話もしてくれたろうに、僕にはその記憶がまったくない。二週間目にやっと僕は起き上がりトイレに行くことができたのだった。

事故から一週間くらい経ったとき・・・

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背景の記憶(207)

 空には梅の花が、土には福寿草が、春の光をいっぱい浴びています。その光の中から嬉しいお便りが届きました。思いがけないお便りに接して、今日は一日、うきうきしております。
 歌友・・・なんてよい言葉でしょうか。三國さんのような方に、歌友なんて呼んでいただけて幸せいっぱいです。

 わが歌に熱きおもいを寄せたまいし君の消息絶えて久しも

・・・とかなしいい思いを詠まずにいられなかった時もありました。でも、三國さんの美しいお言葉の詰まったお便りをいただくだけで、そんな寂しい日々のことなど、吹き飛んでしまいます。

            「沈黙のひと」 小池真理子



亡き父にも・・・

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背景の記憶(206)

 その介護付き有料老人ホームは、松江市の郊外にあった。年に一度か二度、帰省した時には、必ず立ち寄ることにしていた。

 そこには、叔父が入所していた。母方で生きているたった一人のひとであり、幼くして母と死別した僕たち甥や姪の親代わりのような人だった。戦争の傷のせいで、自分には子供が無かったことも原因していたかもしれない。

 叔父は、父や他の叔父さんたちと同じく教職に就いていた。そしてやはり校長としてその職を全うした人だった。祖母がそうだったせいなのか、叔父は大柄で恰幅のいい人だった。誰に似たのかいつも辛口トークで、僕たちを怯えさせまた笑わせた。

 家族五人で訪問した時、叔父は殊更元気ありげに振る舞ってくれたが、何度も何度も「アンタ、名前は?」と息子たちに問いかけた。かなり認知症が進んでいるようだった。案内のスタッフの女性が、「先生をしてらしたせいか、廊下ですれ違うと『おはよう!勉強せ〜よ!』っていつも仰るんですよ。いつまでも校長先生なのね」と笑いながら話してくれた。

 帰る時間になると、入浴を済ませた叔父は、テレビのある大きな休憩室で、車椅子に座ってぼんやりとテレビを観ていた。ただテレビの方を向いているというだけで、その中身を理解しているようには感じられなかった。

 僕が近寄り、肩を叩いて「おじさん、じゃあ行くからね」と言うと、叔父は淋しげに振り向いて「ああ・・・」と言った。終ぞ僕が何ものなのかは判らないままのようだった。

 ドアのところで、もう一度叔父の方に目を向けると、右手を上げてサヨナラをしているように見えた。この一瞬だけ、叔父に記憶が蘇って、「あきお・・・ありがとう・・・」とホントにサヨナラをしてくれているように思えて、僕は涙を堪えらえなくなってしまった。

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背景の記憶(205)

      二重スパイ

 話は前後するが、結果として僕は、二重スパイ的存在になってしまったと言える。スパイは言い過ぎにしても、両陣営(?)と均等に接点を持ちうる唯一の存在となってしまった・・・というわけだ。

 人間の心理とは、実に興味深いものだ。事の真っただ中にいる本人たちですら、僕の客観的視点や考え方に左右されてしまうわけだから・・・。方や〜恨み、妬み、嫌悪・・・、方や〜略奪、征服、独り占め・・・。

 しかし、事は意外にあっさりと終焉に向かうこととなる。ほぼ同じころに、両方共が妊娠したわけである。

 なにやってんだ!?

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