女性特有の言動に、驚かされ、戸惑い、翻弄される。まるでそんな僕を見て、楽しんでいるかのようにさえ思えてしまう。
「横顔が好き!っちゃね〜」助手席の彼女がそう言う。僕の顔が赤くなる。自分の本当の顔は、自分んでは見られない。鏡に映る自分は、彼女が見る僕ではない。ほとんど準備のできない間に、どんどん彼女との距離が狭まってゆく。
職場での彼女は快活そのものだった。電話の受け答えも事務処理もテキパキとしていて小気味よかった。他の男性社員にも分け隔てなく接していた。でもふたりのとき、その真逆の面を見せられて、僕は戸惑った。超ミニスカートで子供のように無防備だった彼女が、どんどん大人の女性に変化してゆくのを、僕は驚きの眼差しで確認させられた。
彼女は小柄だった。140センチ台ではなかったろうか。同郷の高田みずえ似で涼しい瞳の持ち主だった。彼女の書く字は、躍動するような快活文字だった。左利きを直されて、角々とした字しか書けない僕はちょっと嫌悪した。しかしそんな僕を彼女はむしろ褒めてくれた。「字は性格が現れるんやね〜。」彼女にはどんな風に受け止められていたのだろう。
「いいですよ。次の日曜日でいいのかな?」
「よかった!ありがとう!おねがいします!」ほんとうに快活な娘だ。
「ところで・・・なんだけど・・・」なにか言いにくそうな雰囲気だ。
「実は、社宅と言っても社長の自宅兼ショールームの建物の一部屋に住まわせてもらってるわけよね。・・・で、最近夫婦間の口論が絶えないわけ・・・」
「・・・で、わたなべさんは知ってると思うんだけど、社長とあなたを紹介した人は、実は高校時代の同級生で・・・ん〜ん、はっきり言えば、不倫関係にあるわけ」
「えっ、そうなんや・・・知らなかったと言うべきか、聞かされてないよと言うべきか・・・言われてみれば、なんか風当たりがキツイようにも感じるなぁ〜、でも僕にはどうでおいいことだけどね」
「ところがそうもいかないのよね。スパイみたいに思われてるから・・・もう一人、むこうの課のMさん(女性)もそうなのよ。」
「わたしはね、わたなべさんのこと真面目ないい人だって言ってるんだけどね。喧嘩の渦の中で暮らすのはもう限界なのよね、分かってもらえるでしょ?」
「わかったけど、でも・・・秘密裏にってわけにはいかないだろう?」
「大丈夫!奥さんには私からちゃんと言っておくから」
次の日曜日、半日で引っ越しは終わり、帰るつもりでいたら「お礼に、ちょっとご馳走ってほどのものはできないけど、急いで作るから食べていって!」九州の女性は概してこうなのかな・・・すっかり彼女ペースだ。すると隣の部屋の女性が顔を出して、「こんにちは〜!はい、これ・・・頼まれてたやつ」と言ってなにやらを一皿持ってきた。そして僕の方をチラッと見て、「言ってた通りの人ね。」と僕にも聞こえるように話して部屋を出て行った。
夕方ちかくになって、小さなテーブルに向い合せに座ってビールで乾杯した。短時間で作ったにしては、かなりの腕前の料理で僕は半分ビックリ状態だった。「大したことしてないのになんだか申し訳ないね」と言うと、彼女は「ううん、こういう場面が夢だったの、わたしはとっても嬉しい!さあもっと飲んで!」
ほろ酔いになったころ、彼女がすっと立ち上がって、蛍光灯の紐を引っ張った。とても自然な動きに思えた。薄暗い部屋の中で、僕は立ったままの彼女に上から見つめられる感じになった。こどもっぽいイメージの彼女から大人びた雰囲気の女性に変わって感じられて、僕の女性恐怖症はどこかへ消え失せてしまったように思えた。
腕の中の彼女が呟いた。「来月の23日が私の誕生日なの。その日、外で祝ってくれる?約束ね!」そう言って彼女は勢いよく立ち上がり電気を点けた。
そういつまでもプゥ〜太郎もやってられないということで、僕はタイピスト学院の先生の紹介で、就職することになった。(アメリカ行きのために英会話とタイピスト養成の学校に通っていたのだ。今ならパソコン教室というところか)
あいかわらず女性恐怖症(?)は続いていて、僕は営業ではなく、会話の少なくて済む技術的な分野を希望した。想定通りの展開で、僕は無難なスタートを切った。
半年くらい経ったころ、事務所内の組織替えや配置転換があり、2課制になった。僕の所属した課には高校卒業して一年も経たない女の子が配属された。鹿児島
出身でまだ少女っ気の抜けない可愛らしい子だった。朝礼が終われば、夕方まで事務所には帰らない仕事だったから、ほとんど接点はなかった。当時はまだポケベルの時代で、よほどの緊急時でなければ、僕のポケベルが鳴ることはなかった。
ある日の夕方事務所に帰ると、連絡メモの中に私的なものが含まれていた。彼女からのもので、開いてみると「バス停の近くの喫茶店で待っています」と書かれていた。五才違いでも今度は僕が年上だ。明るくて快活な彼女が何の用なんだろう?と不思議に思いながら、報告書を急いで書き終えて、指定された場所へ急いだ。
制服を脱いで私服に着替えた彼女は、ちょっと大人びて見えた。呼ばれた意味が見当つかずでかしこまっていると、彼女の方から切り出した。「私はすぐに分かったんだけど、どうして営業じゃないんですか?電話とか聞いてたら、ゼッタイ営業向きだと思うんだけどな・・・」実は・・・とも言えず、僕はただ「人とあまり喋りたくないんだ」と答えた。そして「何か?」と尋ねると・・・
「今、社宅にいるんだけど、アパートに移ろうかなって思って・・・で、わたなべさんに引っ越しを手伝ってもらえないかな〜ダメ? 家具とか荷物といっても、小型トラック1台で十分なの」
寄りかかってしまえば、そのまま安住の生活が待っていた。裸一貫でも何とかなる〜そんな時代でもあった。思ってくれて養ってもくれる〜そんな年上の女性がいた。わざわざ博多から京都まで迎えに来てくれて、列車に乗りさえすれば、そこから新しい生活が始まる・・・段取りだった。彼女のシナリオでは・・・。
でも、僕の答えはノーだった。ギリギリの選択。僕は22才、彼女27才。
「どうして、いつもそうして・・・苦しい方ばかり選ぶの?」
どうして?と言われても分からない。自分の中の何かがそうさせる。すぐそこに母のような温もりがあるのに・・・とろけるような安らぎがあるのに・・・。
まさしく「22才の別れ」
♪あなたにサヨナラって言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたのあたたかい手に
触れたらきっと言えなくなってしまう
そんな気がして・・・・
自分でも恐ろしくなった・・・<心的テクニック>との訣別。
翌年・・・
祖母や祖父ががいた。父もいた。だが、母だけがいなかった。
母のようにふるまっていた人は確かに存在していた。その人は、限りなく本物に近い母として彼を扱い、愛し、抱きしめてくれた。だが、それが本当の母ではなかったことを自分はおそらく、乳児のころから気づいていたのかもしれない、と彼は思う。
いい子だ、と周囲から言われることは日常茶飯だった。そして、そう言われる子供になろうとする努力を惜しんだことはなかった。
たいていのことは我慢してきた。わがままを言ったり、利己的になったり、人を傷つけたり、感情の起伏を人に見せたり、いたずらに逆らったりせず、できるだけにこやかに、温厚に、他者とぶつからないようにして生きてきた。
すくすくと健やかに育った、とみんなが思っている。こんな扱いやすい、性格のいい子はいなかった、と誰もに思われている。父も、祖父母も、育ての母も、・・
「存在の美しい哀しみ」 小池真理子
小説の中に・・・
友達に誘われたバイト先は、D百貨店だった。正確には、警備や清掃、店内の商品搬入等を扱う下請け会社で、大学生が多く、他には浪人生と僕のような流れ者は少数派だった。
多くの者は、店内の売り子との接点がある商品搬入を好んでいたが、僕は、訳ありで女性恐怖症(?)の時期であり、手動式のエレベーターの操作係りを希望した。
もちろんお客様用のエレベーターではなく、従業員や荷物の搬送用のものだった。
映画に出てくるような何ともクラシカルなヤツで、それなりに操作は面白かった。低速、中速、高速と3台あって、それぞれに役目が分かれていた。高速用は階を飛ばして上下し、主に地下と社員食堂に停止した。低速と中速は臨機応変でボタンで呼ばれた階に行き、言われた階へ移動した。
30分毎の交代制で、控室は最上階の屋根裏部屋だった。機械室の隅っこにおかれた長椅子で本を読んだり仮眠をとったりした。機械油の臭いとガタンガタンとかウイ〜ンといった音の中で、僕は夢の世界を浮遊していた。
百貨店と言うところは、社会の縮図のような所で、様々な人間模様を見せつけられた。化粧品売り場の女性たちの華々しさや、地下の食料品売り場の女性たちの清楚な姿など、各売り場のカラーの違いは際立っていた。
商品搬送の仲間たちの中には、明らかなワルがいて、目つきを見れば僕のような単純男にも判別できた。退出時の身体検査で万引きがバレて掴まる場面も何回か目撃した。
立大や同大のスクールカラーはファッションからして明白だったし、僕らのようなアンダーグランド的な男は、殊更にその違いが容姿に現れていた。長髪、ジーパン、バスケットシューズ、ショートホープetc。
ある時、低速の台の時、地下の食料品売り場の女の子が一人で乗ってきた。そして手渡されたメモに僕はビックリした。
僕は、作中の維朔こと作者と京都で遭遇していたのかも知れない。
まさに同時代を生きていた。
教師だった父からの個人的教育(英語の原書を読め)(多読、速読)、
白紙答案の受験、ロックバンド・村八分、大丸(週給,万引き)や染め工場での
バイト、西陣界隈の諸々(パチンコ,ストリップ,五番町・・・)
橋の下こそなかったが、寝袋一つの放浪
喫茶店やジャズスポット
ギター、ピアノ、音響・・・
そして何よりも、行くところ行くところでの、女性との関わり
彼ほどのどぎつさ、えげつなさはないにしろ
心的にはかなりの部分で共通項を見出す。
分かっていながら、突き進まねばならなかった青い性
意外なくらいに踏みとどまる内的抑制
そして何よりも・・・
テクニックと化した人的操縦術への嫌悪
それが僕の「卒業」だったのかもしれない。
「百万遍 古都恋情」 花村萬月
京ことば?
「かまへん」
「やくたいもない」
「あかん」
「うつうつしい」
「おぞい」
「おとましい」
「気随い」
「しがんたれ」
「いけず」
「くすべる」
「しったらしい」
花村萬月「百万遍 古都恋情」
こまったもんや・・・
巧い絵なんて、幾らでもある。しかしよい絵はほとんどない。まして凄い絵は〜。
それが惟朔の結論だった。惟朔の描く絵は巧い絵であり、しかもその年齢にしてはという注釈がつく。そこそこに巧い絵にすぎないのだった。
なぜ芸術家と呼ばれる存在があらわれるかといえば、才能が努力やそれで得られる技術を超越するからだ。
花村萬月 「百万遍 青の時代」
これほどまでに・・・
相手の心が読めてしまう自分が嫌で
僕はいつも微妙な笑いを作っていた
大方は、それで場を凌げたのだけれど
ごくたまに・・・
そこまでも見透かしてしまう人物がいるのには
僕自身、かなり戸惑った
その人と目と目が合ったとき
「ごめんなさい、何も言わないでください」
と、僕は目で哀願した