前記事の内容に似て、僕にも似通った経験がある。あれは高卒後の18歳のことか・・・僕はある宗教団体に所属していて、専従布教師の見習いとして、岡山県にある支部に派遣された。先輩先生のもとで種々勉強をさせていただいたわけだ。
ある日の事、未舗装の道路を先輩の運転するバイクの後ろに乗せられて走行中、車輪が砂利に引っ掛かって左右にぶれた。そのはずみで僕は後方に大きく振り落されて、顔面と言わず腰と言わず路面に激しく打ちつけられしまった。
その直後のことはまったく記憶がなく、気が付いたら僕は布教所の布団の上に寝かされていた。事故後まる二日、僕が記憶を失っていたらしい。所属していた宗教団体は、教義として余程の事がない限り、病院へは行かなかったのだ。
意識は回復したが、打撲は凄まじかったようで、僕は寝返りさえうてない状態だった。眼鏡と時計のせいで、右の眉毛の横と、右手首にかなりの傷を負っていた。一旦目覚めたものの、その後はまたしても昏睡状態となり眠りつづけたらしい。
布教所はご信者である農家の母屋の離れの二階にあった。母屋には横須賀に嫁いでいた娘のA子さんがお産のため帰省していた。25〜26才だったろうか。すでにお産を終えた身で、そのひとが僕の世話をしてくれた。赤ちゃんのことだけでも大変だったろうに、意識のない時も、ずっとそばにいてくれたらしいかった。
身体を拭いてくれたり、包帯を取り換えてくれたり、おそらくは下の世話もしてくれたろうに、僕にはその記憶がまったくない。二週間目にやっと僕は起き上がりトイレに行くことができたのだった。
事故から一週間くらい経ったとき・・・
教会本部の彼女から厚い封書が届いた。心配の内容の手紙と共に、彼女の顔写真が三枚入れられていた。そばにいたA子さんが「見せて・・・」と言って写真を見た。「きれいなひとね。いくつ?私と同じくらいかな?」僕はだまってうなずいた。A子さんのちょっと嫉妬めいた表情を僕は見逃さなかった。
僕が動けるくらいに回復したので、A子さんは横須賀へ帰ることになった。ちょっと予定を先延ばしにして、僕の世話をしてくださっていたのだった。帰り際に、二人きりになったとき「じゃあね」と言って彼女は僕の頬にチューをした。そして「手紙書くからね。本部へ帰るんでしょ?彼女に悪いからペンネームにするね。でも、消印でわかっちゃうかな・・・なんかね〜あきおくんのこと忘れられそうにないな〜」彼女の目が潤んでいた。そしてもう一度頬に唇をあてた。