時は人を変える。
その昔抱いていた彼(彼女)のイメージが、真逆になっていることがある。
それは、どっちが正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、
そうなった必然性を認めるしかない。
価値観の押し付けは問題が残る。
人を変える要素としては、環境や取り巻きや経験やら……色々考えられるが、
要は、その人個人の価値観の問題だと思う。
判断基準と言ってもいい。
この誤差は、互いの関係性の崩壊に繋がりかねない。
思想性の捻れは修復し難い。交わる点が無いから……。
いわゆる(捻れの位置関係)ということになる。
結局、人は感性の共有と交わりを希求して彷徨い歩き続ける。
昔から、天変地異は〖天の怒り〗〖人類への警鐘〗と受け止められてきたわけだが、
この近代社会においてさえ、その感を強くするのは僕だけだろうか?
猛烈な日照りあり、とんでもない豪雨あり、比類のない山火事あり、
地表がひっくり返るような大地震あり…………
今も昔も、これらを〖天の警鐘〗ととらえても不思議ではない。
人間の力ではどうしようもなく、ただ呆然とするだけなのだから………
〖雨 土塊を砕かず 代は義農の世と成て…〗は、人知の及ぶところではない。
天意が奈辺にあるかは、我々凡人が語る分野ではないが、その総意だけは
汲み取らなくてはなるまい。
俗にいうところの悪国、悪王が「我こそはトップリーダー」とばかりに
のさばっている今日、これもまた「さも有なん」と受け止めてしまう自分がいる。

プロ野球の前阿部監督と前桑田二軍監督とが、考え方の違いが露見したように、
他の社会でも似たようなことは各所で頻繁に起こっているわけで…
鉄拳制裁とかけつバットとかが、当たり前のように行われていた時代は、
古いのではなくて、間違っていたのだと…
それは飛躍した話に聞こえるかも知れないが、戦争論にも似ている。
片やのびのびとしたことを、甘やかしと捉えたり、しなやかな発想を
統一的に抑え込んでしまうのに似ている。
斬新な発想や行動は、指導者に対する反発、反抗と受け止められ
排除、もしくは無視される。
これまた飛躍した話に聞こえるかも知れないが、
【悦び】を説くのに【しかめっ面】をして説いて、相手に伝わるのか…
という話。ホンモノは、言わず語らずのうちに
相手の胸に響く。これが僕の揺るぎない信念だ。
長く険しい闘いだな…。
心の深呼吸をしてごらんなさい。