さて、身近な所で、熟年離婚が現実味を帯びてきた。
しかも最悪なことに、どちらも認知症ときた。症状の度合いの違いはあれ、
泥仕合に近い。
話は両方聞いてみなきゃ分からない…というが、
これでは判断が難しい。しかし、事が暴力
沙汰ともなれば、当事者への風当たりは強い。
祖母の時の症状を思い出す。夜の徘徊やお金を盗まれたやら、大変だったと聞いている。
それに近いのかな。食べ物に毒を入れられたとか、
殺す気か…となると、かなり際どく末期症状と言わざるを得ない。
もっと早い段階で、気付くべきだったのだろう。
子供じゃないから表面化するまでの時間が、余計に事を遅らせる。
行司役か裁判官役か知らないが、出来れば避けて通りたい。

「亡霊 弔いを待つ」
この歳になると、亡き人の面影が偲ばれて、回向の席に座る。
時代の流れか?音信の途絶えた人たちの如何に多いことか・・・。
又しても、年末近くにあの葉書が届くというのだろうか。
親戚としての、友としての存在を認められず、数年経ってから、その死を知ること
も少なくない。
逆を考えれば、自分の家族も同じことをするのかもしれない。
いや、と言うよりも・・・夫の、父の交友関係など知らない〜と言うことだろう。
家族は責められない、嫌な世の中になったものだ。
手紙やハガキなど忘れ去られた存在かもしれない。
つい・・・妄想を抱く。一カ月くらい旅に出て、この人!と思う人たちの所を
巡ってみたい。あるいはその時、彼の、彼女の死を知ることになるかもしれない。
その想いに至った時、何と不義理をしている人たちの多いことか。
まさしく、合わせる顔があるのか!と、己を𠮟責する。
僕は口ずさむ・・・「私は今日まで生きてきました 時には誰かの力を借りて
私は今日まで生きてきました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
どこかで誰かの声がする。そう、僕ですよ。あの時の僕ですよ。
お盆と言うこの時に、僕は亡き親と、亡き兄姉と、友人・知人との語らいの時を
持つ。
彼女の家は福岡市の西北の郊外にあった。到着すると彼女の叔父さんを紹介された。以前施設にいた時に聞いたことのある名前だった。どうやら彼女のご両親は、何か訳アリで一緒に暮らしてはいないようだった。思いきって妹さんのことを聞くと、昨年縁談がまとまって、東京へ嫁いで行ったとのことだった。ちょっと残念な気持ちになったが、このことが彼女の心を急かせたかもしれないなと思った。
遅い昼食をいただいて、母屋のすぐ隣にある離れの部屋を紹介された。どうやら此処が僕の新しい住まいになるらしい。もちろんいきなり彼女と同居というのはないだろうと思ったが、なんとそこは彼女の住まいでもあったのだ。おそらく姉妹で暮らしていたのだろうと想像できた。ということは、もう事実婚?そんな展開に内心ビックリした。
二人っきりになった部屋で、改めて見つめ合った。勝ち気な彼女が、安堵感からかちょっと涙ぐんでいるように見えた。彼女の心の負担を思うと、男としての不甲斐なさと小心を恥じた。と同時に次の段階への決意めいたものが沸き上がってきた。「まずは仕事だな」それを察した彼女は、「私が勤めている会社に頼もうと思ってるの」と言った。そうか、彼女の中では、そこまでのシナリオは描き済みだったってことか…又しても改めて彼女の行動力に驚かされた僕だった。