『臨終のことを先に習いて 後に他事を学ぶべし』
(日扇聖人)
人は高齢者から順番に死ぬわけではない。仕事バリバリの成人も、学生も、子供
も赤ちゃんも、あるいは胎児さえも、みんな死ぬ時は死ぬ。しかし、大方の人間は
「ひとは死んでも、自分はまだまだ死なない」と思い込んでいる。
たとえば医師から癌のステージの宣告を受けたり、更には余命何カ月とまで言わ
れたりして、その時初めてひとは「いのち」の儚さを実感する。そしてこれまでの
安易な傲慢な無分別な生き方を後悔するのだ。
貴重な友が癌の宣告を受けた。ステージ�犬蕕靴ぁ0柄阿�ら話していて、俗に
言う「延命治療」は受けないと言う。これは僕の考えとも合致している。単純な
諦めとも違う、人生観、死生観そのものの違いだろう。一言で「無駄に・・・」と
は言わないが、ただ息をしているだけの生存は望まないということだ。
秋元 康の「象の背中」を思い出す。余命宣告を受けた主人公が、級友や初恋の
彼女や、仕事上で関わった人たちを訪ね廻るシーンには共感を覚えた。そしてまた
死期を悟った象は、群れから離れ自分だけの死に場所へと向かうと言う。その高貴
なまでの行動が僕にできるかと問われれば疑問だ。西部 邁氏は自死を選択したが
これとても第三者の手を借りなければならなかった。人間は象のようにはいかな
い。アルプスの山奥で氷雪に埋もれるか滑落でもしないかぎり。
僕は友との約束を果たさなければならない。

アルバイトを終えてバス停までの帰り道、雨が降り始めていたが、それでも僕は殊更ゆっくりと歩いていた。そう殊更に。本通りとは違う細い道なので、通る人もまばらだ。バス停まであと数百メートルとなった時、後からコツコツコツと靴音が聞こえてきた。この靴音に僕は確信した。それはバイト先で気になっていたYさんなのだ。これまで何度か後ろから見かけたことがあった。僕はバスだけど、彼女は電車であることも知っていた。
ふり向きたい気持ちを抑えて歩いていると、不意に赤い傘が頭の上にかけられた。無言だったけど、まるで「濡れますよ」とでも言うように。横顔を見ると目が優しく笑っていた。「ありがとう」の気持で、僕はコクリと頭を下げた。背丈が違い過ぎるので、僕は傘を受け取って彼女に半分以上被るようにして歩いた。
言葉を発しようと思ったけど、それを遮るかのように駅に着いてしまった。バス停の屋根の下で、僕は傘をたたみ返そうとすると、彼女は初めて言葉を発した。「私、折り畳み傘があるから、それ使ってください。バス降りても歩くんでしょ?」有難い言葉だった。「じゃ、遠慮なく・・・」と言って、二人は別れた。
バスに乗って、場違いに思える赤い傘を手に持って、窓に映る僕の顔は少々にやけているように見えた。前の席に座っている女性が、傘と僕の顔を見て、ちょっと笑ったような気がした。でも、僕にはそれさえも嬉しく受け止めることができた。バスを降りたら、ルンルンルンなんてスキップでもしそうな気分だった。

今日は、我が母の祥月命日
もう七十数年の時が流れた。
享年33歳だから、年齢的には、はるかに逆転しているわけだが、どういうわけか、僕の心の中では、そのイメージの逆転は起こらない。起こりようがない。
いくつになっても母は母。いつも天空から優しく見つめ続けてくれている。
念ずれば、その想いは霊界を駆け巡り、辿り辿って必ずやその目的の霊に到達すると聞く。
僕の想念が辿り着いた時、その想いが人体と化し、母の胸に飛び込むことが出来るだろうか。
この世の孤独は、特別耐えがたきものとは思わない。少なくともこの僕は。
僕の想念はあの世とこの世を往来する。光年の単位を押し付けられても、自由に飛翔する。
教えられた通りとすれば、母は光と花園の中にはいない。しかし、この僕が行って手を握れば、その場は一転するはずだ。
常盆常彼岸…その弔いが母をひとときの寂光に導く。
