いわゆる晩年を迎えて、思い至ることがある。
反省というか後悔というか懺悔というか…
僕は末っ子なので、父との年齢差は三十数年あるわけだが、
父が今の僕と同じ歳のころ、この僕はどんな接し方をしてただろうと振り返りみる。
一言で言えば、思いが足らなかった。
いや、思い遣りに欠けていた。
父親に寄り添うというのも変な表現だが、もっと父の内面に飛び込んで、
思想的闘いを交えたかったということだ。
「ほう、息子よ。そこまで考えるようになったか。それでこそ我が息子」との思いを
抱かせたかったとの慚愧の念と言える。
男親は女親よりも孤独に陥りやすい。その捌け口とでもいうように、わら半紙に
ひたすら殴り書きしていた頃の父を思い出す。誰に同意を求めるわけでもなく。
心中のもう一人の自分に語りかけ問い続けていたのだ。
そしてはるか遠い昔に死別した僕の母に、語りかけ続けていたのだ。
それ相応の年齢にならなけれは、その年に相応しい思考は涌き出ては来ない。
現実の時の流れを止めて、己の独り舞台を演じる。
観客はもう一人の自分とあの世の父と母。さらに加わるかい?
五人の兄姉たちよ。
憧れ抱き続けていた【家庭】という温かい空間。
肉体の懸垂よりも
心の懸垂はきつい
まだまだと思っていても
いきなり終焉を迎えるような深い谷を見せつけられる
肉体なら足が震えるとか鳥肌が立つとかあるだろうに
指先の痺れ感は
精神で言えば何だ?
混乱、呻き、錯乱、自暴自棄…
心の涙を何に例える?
五十度を超える焼酎か!
それほどの飛躍の方がその対価に相応しい
川向こうを僕とは逆方向に歩く集団がいる
表情までは読み切れないが、足取りは重く鈍い
彼らに僕の足取りはどう写っているのだろう?
妥協を拒む精神の擁壁
兵糧攻めの残忍さ苛酷さ
顔を覆った両手の指の隙間から
眩しくも優しい光を見いだしたのは何時のこと?
やはりそうでしたか
やはり貴女でしたか
お母さん