この季節になると、つい口ずさむ歌がある・・・
♪僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
くもりガラスの 窓をたたいて
君の時計を とめてみたい
あゝ僕の時計は あの時のまま
風に吹き上げられた ほこりの中
二人の声も 消えてしまった
あゝあれは春だったね
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途絶える音信というものに、必要以上の探りを入れるのは如何なものかと思わない
でもないが、習性というものは簡単には改まらない。
♪僕が思い出になる頃に
君を思い出にできない
そんな僕の手紙がつく
風に揺れる タンポポをそえて
君の涙を ふいてあげたい
あゝ僕の涙は あの時のまま
広い河原の 土手の上を
ふり返りながら走った
あゝあれは春だったね
・・・・・・・・・・・・・・

僕の生活信条は、「何事も さりげなく さりげなく」なんだが、表面上も
心の中もまったく同じかと問われれば、もちろん「ノー」と答えるしかない。
葛藤とまではいかなくとも、一種の自己制御は働いているわけだ。
鎧兜や裃袴まで身に着けるわけではないが、それなりの身づくろいはして
いないと、丸裸では世の中歩けない。心の中の葛藤は人間形成上の必須条件
だと思っている。常に自分を客観視して修正努力を惜しまない。それでこそ
成長と言うものだろう。
一方で、世の中によく言えば<裏表の無い人>はたくさんいるけれども、
そういう人たちは、少なからず衝突を生む。建設的衝突ならむしろ歓迎される
べきものなのだろうけれども、大方は<大人の喧嘩>に発展し、けんか別れや
いがみ合いでしこりを残すことになる。
<熟視黙考>・・これは一つの鍛錬だ。そして最終結論を緩やかに<発信>する。
ここでこそ・・・さりげなく、さりげなく。
