アラーム音が鳴り響き
心の中を支配する
僕は最大限に手を伸ばし
解除ボタンを押す
けたたましい音の余韻が
所々で木霊する
またしても僕は
際どく危機をすり抜けた
♪泣かないって約束したのに
「さよなら」と言ったら
何にも言わずに横向いて
お下げが風に揺れていた
忘れないさ忘れないさ
好きなのさ
♪やがて夜が明ける
今は冷たい色
次のカーブ切れば
あの日 消えた夏
君は先を急ぎ
僕は ふり向き過ぎていた
知らずに別の道
いつからか離れていった
サヨナラを繰り返し
君は大人になる
ときめきと とまどいを
その胸にしのばせて
・・・・・・・・・
サヨナラを言えただけ
君は大人だったね
ときめきと・・・・
別離が男を強くする
強くならなきゃ
貴女に申し訳が立たない
もちろん
抜け殻のような日々もあったさ
でも、心の奥底で
愛の灯はチロチロと燃え続けていた
それだけが、貴女への償い
♪騙され続けて 生きるより
信じることを 忘れてみたい
・・・・・・・・・・・・・
まさしく「十人十色」「百人百色」
いろんな人がいるさ 色んな奴がいるさ
心の見える眼鏡をください
それに応えられるあなたなら ノーベル賞ものですね
美顔に隠された悪魔の心
それを操る黒い影
そしてまた・・・
やられたらやり返す 負の連鎖
ストップ ザ <悪心>
「人を悪く言うことは、空に向かって唾を吐いているのと同じです。」
『流言は、智者に止まる』 (筍子)
(デンとしていよう。たしかに噂話をしているときの顔は醜い。平素どんなに人柄の良い人であっても。正確情報でない限り、流言は自分の中にしまっておこう)
「なぜ日本人は憤怒を捨てたのか?」
と伊集院静が何かの本に書いていた。これには僕も同感だ。
怒りが、成長や挑戦への源だと思うからだ。
一見、奥ゆかしさや黙考ととられるものは、怠慢や諦めに繋がっている。
心入れ替われば、血路も変わる。眼光も鋭くなる。
何よりも、行動力が湧いてくる。
♪広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬踊る光に 揺れていた君の瞳
季節はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人はもういない
クラブの夏のイベントで、僕は幹事をしていて、いろいろと動き回っていたのだが
カラオケの最後の方になって、みんなから「幹事も唄え!」ということになった。
僕は「青葉城恋唄」を選曲した。というのも、故郷の懐かしい友の死の知らせから、
まだひと月も経っていなかったのだ。彼女の供養にはとてもならないだろうけど、歌詞の内容に彼女への想いを重ねて歌い出した・・・。
優しいメロディーと歌詞の内容が、彼女の想い出と重なって、涙が滲み、声が震えた。近くで聴いていた人が、事情も知らないだろうに、目頭を押さえていた。
友は多い方がいいかも知れない。
だけど一方で僕は思う。
数だけの問題ではないだろう・・・と。
たった一人でも、心底分かり合えるひとであれば。
リクエストがどうだとか、アクセスがどうだとか
そんなことはもう気にしなくなった。
その数獲得のために、事の内容を誇大化したり、
面白おかしく広げて見せるのは、すんなり心には響かない。
時に、一枚の無言の顔写真の瞳の中に、
言い知れぬ感性と繊細さを見つけるときがある。
人間の表情は、インスタントに形成されるものではない。
その人の想いや知識や経験が顔を作り上げる。
世の中は、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに何かをしている
のだ。目を少し大きく見開けば、そんなことであふれている。
今は目に見えずとも、のちにそれを知り感謝することもあるのだろう。
己のしあわせだけのために生きるのは卑しいと私は思う。
伊集院 静
大きなサイクルで物事を見る
長い時間で人の心を見る
刹那的ではなく
行き当たりばったりでなく
そうすれば見えてくる
感じ取ることができる
黒い渦に呑み込まれないように
逆にこちらが包み込むように
どっしり構えてさえいれば
来るべきものは来る
去るべきものは去る
人も事象も同じことだ
これまで何を積み重ねてきたか
何を見逃してしまったか