「ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。
行為の善悪を判断せずに行為しなくてはならぬ。
平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。私は死の眠り以外の休息を
願わない。私の一生の満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後
まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと、ふと慄然とする。
私は心の中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、
満足して!・・・あるいは絶望しきって死にたいものだ」
アンドレ・ジッド 『地の糧』
独善、誤解、孤立、徒労、悲痛・・・それらすべてを良し!とするのか?
そう思い込むべきなのか?青春時代とこの晩年とでは、その意味合いが
あまりにも重すぎる。