今日は、我が母の祥月命日
もう七十数年の時が流れた。
享年33歳だから、年齢的には、はるかに逆転しているわけだが、どういうわけか、僕の心の中では、そのイメージの逆転は起こらない。起こりようがない。
いくつになっても母は母。いつも天空から優しく見つめ続けてくれている。
念ずれば、その想いは霊界を駆け巡り、辿り辿って必ずやその目的の霊に到達すると聞く。
僕の想念が辿り着いた時、その想いが人体と化し、母の胸に飛び込むことが出来るだろうか。
この世の孤独は、特別耐えがたきものとは思わない。少なくともこの僕は。
僕の想念はあの世とこの世を往来する。光年の単位を押し付けられても、自由に飛翔する。
教えられた通りとすれば、母は光と花園の中にはいない。しかし、この僕が行って手を握れば、その場は一転するはずだ。
常盆常彼岸…その弔いが母をひとときの寂光に導く。