六帖一間の安アパートで
寝袋に包まって眠った
懐かしい友の顔が虚ろな心の中を占領した
夫々の思い出が温もりとなり
僕はやがて深い眠りに落ちて行った
職員室 2
みんなが何か被っている
水のように物がいえない
だれかがその圧苦しさを越えようとする
甚だしく卑屈に歪んだ語感がある
それをきっかけに
必然性のない観念論が同乗していく
なにかなじまぬもの
清れつでないもの
消化不良の内臓がかきむしる
混濁血液の錯流だ
不協和音は素通りしていきなさい
私の頭はますますひっこまる
渡部 一夫
職員室
すべての個人的なものが否定される
・・・なんという冷たさだ
どんなに自分だけの真実があろうと
職員室の壁は開いてはくれない
言葉を取り繕おうとするよりかは
出来るだけおし黙っていた方が
かしこいんだよ
真からそれを案じてくれる情(こころ)のないことは
分かりきっているんだから
無理におつきあいで吐き出す言葉だって
みんな自分の身に弁解の蜘蛛の巣を
ぐるぐる巻くことでしかないんだから
苦労話なんかには
職員室の天井は高すぎるんだよ
いやその苦労話にしたって
ほんとに訴えなきゃならぬ根拠があるかないかさえ
あやしく
煙のように薄れていってしまうんだから
だが
この圧迫するもの
この表べだけを「同情」につくって
圧迫してくるものを
どこかで
がっちりと
握る手はないものであろうか
とにかく
そこは
冷徹きわまりなき情(こころ)の刑場(しおきば)
(渡部 一夫)
君は無理にきつい言葉を使って
二人の間にラインを引いた
自らに言い聞かせるように・・・
そのラインは何重にも重なって
太く深い溝を形成した
飛び越えられないくらい・・・
飛び込んでも泳げないくらい・・・
温かい泪の河に溺れようかとも思った
それを遮る君の瞳の威圧に
僕は現実に押し返された
それほどまでの思惑だったとは分からなかった
恨ませて・・・憎ませて・・・
そこまでさえも計算の上だったとは・・・ね
僕よりはるか先を走って
ぐるぐると引きずり回して
息切れするこらい探し回らせて
とんでもないご褒美を用意して
驚く僕を笑って覗き込んで
すっと消えてしまった
何なんだよ
君って人は?
「横顔が好きっちゃね〜!」
助手席の彼女がいきなりそう呟いた。
「えっ!?」
まさか・・・僕のこと?
とてもじゃないが顔に自信があるわけでもなく
からかわれているんだと思った。
でも、よく見るとそうでもない表情の彼女だったので
僕は照れ隠しもあって、車を発進させた。
彼女はまだ二十歳前、だけど職場では先輩であるわけで・・・
同じ課だったから、いろいろとアドバイスを受ける関係だった。
僕は自分で言うのも変だけど<波乱万丈>の少年時代、青春時代を
過ごしてきたわけで、一種の人間不信、女性不信に陥っていて
職種も人との言葉的関わりの少ない技術的な外現場仕事を望んで入社した。
仕事を終えて帰社したら日報を提出して「お先に失礼します」の毎日。
事務の彼女は、営業の社員に多く入る電話注文や事務連絡を快活にこなす
明るいマスコット的存在だった。当時はミニスカート全盛で、彼女もその
流行に後れることなく超ミニのスカートを穿いていた。言葉は古いが
トランジスタ的娘だったので、小学生のような振る舞いの時※※チラも
度々だった。
ある日のこと、僕の机の上にメモが貼り付けてあった。一枚目は業務連絡。
二枚目に「ちょっと相談に乗ってください」と言うのがあった。日報を渡す
時に、「OK」のメモを返した。このころには仕事にも慣れて、僕の人見知り
も随分改善されていたので、躊躇する材料は何もなかった。
会社からちょっと離れたところで彼女が車に乗り込んできた。さらにちょっと車を走らせた公園横に停車して「どうしたの?」と聴くと、「引っ越ししたいから手伝って欲しいの」彼女は寮で暮らしていたから、そろそろ自由になりたいとのことだった。そんなことなら〜というわけで僕は快諾した。そしてその後に発した言葉が「横顔が・・・」だったんだ。
でも、その時は深く受け止められず、異性への拒絶反応もぬぐい切れてはおらず極力深く考えないようにした。でもそれは彼女の心からすれば超反比例的な想いであったわけで・・・。
そもそも五歳年上の彼女との別離の経験者が、今度は五歳年下の彼女からの告知的ことばだったからね。即座には受け止められない自分がいた。
クラブの帰り道、僕は彼女よりちょっとだけ早く表へ出た。
彼女は自転車、僕は徒歩。最初の曲がり角まではゆっくり歩いて
曲がって彼女の視界から消えた時、音を立てずに走ってマンションの
塀の陰に隠れた。
すぐに追いつくだろうと思って角を曲がってきた彼女は、僕の姿がない
ので、辺りをキョロキョロしている様子だった。そして即座に猛烈な
勢いで自転車をこぎ始めた。僕の隠れてていた場所も瞬時に通り過ぎて
行ってしまった。
そのあまりのスピードに、僕はその先の衝突事故とかが心配になって
猛烈にダッシュして彼女を追いかけた。次の大通との十字路で、彼女は
左右を見まわして必死に僕の姿を探している様子だった。
僕はひとまず安心して、今度は忍び足で彼女に近づいて行った。
その気配に気づいた彼女は、振り向いて・・・心配と安ど感とがごっちゃに
なったような顔で僕を迎えた。そして、僕のイタズラに気が付いたらしく
今度は思いっきり頬を膨らませて「もう、赦さない!」と拗ねた顔をした。
「ゴメン、ゴメン!」と素直に謝って、二人並んでゆっくりゆっくり
歩き始めた。バス停が近づくころには彼女の機嫌も直っていて、素直に
バイバイすることができた。バスの中で、彼女のあの必死さというか
まっすぐさが嬉しくて、ひとりにやけている僕だった。
『ねぇ、あきおくん・・・』(三つも年下のくせに彼女は僕をそう呼んだ)
「なに?」 『胸・・・痛くなったことある?』 「えっ、痛いのか?」
彼女は同じ放送部(アナウンサー)の後輩だった。宍道湖の防波堤に二人並んで腰
かけて、夕日を眺めている時だった。(ちょっと話がある)と言われてきたのだ
が・・・。致命的なくらい鈍感な僕は、彼女に促されるままに、僕の頭を彼女の大
腿部にのせて沈みかけの夕日を見ていた。彼女は僕のイガグリ頭を撫でながらちょ
っと軽くため息をついた。彼女の甘い香りと胸の鼓動が伝わってきて、微妙な息苦
しさを覚えた。その時、急に彼女は「帰ろっ!」と言って僕を起こし、スッと立ち
上がると、ヒラリとスカートを翻して地面に降りた。そして僕の手を引っ張るよう
にちょっと大股で歩き出した。このころになってやっと僕の鈍感頭はちっちゃな到
達点を見つけていた。それでもそれを言葉に出せず、握られた手をギュッと握り返
すのがやっとだった。
高校二年の夏休みが終わったとき、僕は担任のS先生に呼び出された。「こないだ親父さんと話したんだけど(そうなんや、知らなかった)おまえどうするつもりなんだ?三年生になったら、希望進路ごとのクラス編成(能力別)になるのは知ってるよな?おまえはどういうわけか入学試験の成績が高くて(失礼な!)、今のところ男子のトップ50に引っかかっている。そのクラスに付いていけるのか?」
親父がどんな説明をしたのか不明だったけど、当時すでに家を出て、ある宗教施設に入り込んでいた僕には、選択肢もくそもなかった。そもそも父が入信した宗教だったのだけれど、家庭環境の激変と勧誘(誘惑)が重なって、多感な少年は急激にそちらへと傾斜して行ったのだった。当然ながら予習復習などできるわけもなく、連日ガリ版切とか謄写版印刷とかの日々が続いていたのだ。
「就職します」の返答に「この学校にはそんなコースはない!」S先生の罵声が職員室に響き渡った。ほかの先生たちがビックリしてこちらを振り向いた。国公立、有名私立、一般私立と言ったランク付けは想像していたが、ホントに進学の意志の失せていた僕は「じゃあ・・・私立文科系でお願いします。」と答えた。しばらく考え込んでいたS先生は「そのクラスで耐えられるのか?」と言って、僕の顔を覗き込んだ。 この時点で、僕を自分と同じ教職に就かせよういう父の願望は消えた。
S先生の予言どうり、三年生一学期の始め、僕を待ち受けていた教室の空気は重かった。「なんでアイツが???」そんな無言の圧力が僕に重くのしかかってきた。唯一の救いは、小学校の時のあの彼女が〃クラスにいたこと。(もちろん接点など生まれなかったけど・・・。)自分さえこの空気に堪えれば、それはそれで気楽な雰囲気と思えなくもなかった。そして何よりの救いは、新しい担任となったK先生の存在だった。
♪クシコスの郵便馬車・・・覚えていますか?
僕はハッキリ脳裏に刻まれています。(運動会でもよく使われた曲だけど)
学芸会の時、顔の半分ぐらいはあるようなハーモニカを、半音を駆使して一生懸命吹いている姿を思い出します。曲に聴き入るというよりは、その演奏姿に見入ってしまいました。
一年生の時から卒業するまで、六年間ずっと同じクラスでしたね。そして学級委員も、必ず二学期で一緒でした。あんなにたくさんの生徒数で9クラスもあったのにね。
六年生の時かな?僕は大失態を犯してしまいました。君を傷つけちゃいましたよね。机の中の包み物を確かめもしないで、「これ何?」って、みんなの前に晒してしまいました。あれは君からのプレゼントだったんだよね。今更ながら赤面してしまう。ホントに傷つけちゃったよね。
中学、高校も同じ学校だったけど、もろもろの事情が絡まって、接点はほとんどなく、高校三年生の時、同じクラスになったよね。「なんでアイツがこのクラスに?」ってみんなに思われていたから、君もビックリしただろうね。事情は担任のK先生しか知らなかったからね・・・。冷たい視線の中・・・ってほどの被害者意識はなかったけど、言い訳できない分悔しかった。心で泣いていた。
卒業式の日、式が終わって教室に戻り、保護者も後ろに並んだ時、みんなちょっと興味津々って感じで僕の保護者を見ていたよね。親世代でもないし、姉にしては顔が似てないし・・・。五つ年上の彼女。あれからの五年間が凄まじかった。いつか君に話せる日が来るかなと思いつつ、今日になってしまったよ。
同窓会の誘いは貰うんだけど、帰郷出来ずじまい・・・。君が出席できるときに帰れて話せたらいいんだけどね。夢のまた夢に終わっちゃいそうだね。
二十歳前の僕は、予備研修と言うことで、岡山県の山村に派遣された。
先輩布教師の下で細やかな手ほどきを受けた。しかし数日後、僕は大けがを負ってしまった。
先輩の運転するバイクの後ろに乗せてもらっていたのだが、何せ田舎の砂利道、蛇行とバウンドで手が離れてしまい、僕は路上に放り出されてしまった。
その後の記憶はない。気が付いた時には、僕は宿泊先で布団に寝かされていた。外傷は、眼鏡と時計での裂傷。あとは打撲傷で、身体はまったく動かなかった。信教上の理由で病院へは運ばれず、祈りの中で治癒を待つということだった。僅かな目覚めと昏睡の連続で、何日経過したのかさえ分からなかった。
やっと意識が正常に戻ったとき、僕の枕元に一人の女性がいるのに気が付いた。宿の娘さんで、お産のため里帰りしている人だった。4〜5歳年上のひとだろうか。「大変だったね〜。もう大丈夫そうね。」と言いながら手際よく身の世話をしてもらった。その時、何から何までお世話になったと思うと、恥ずかしさと不思議な心地よさとが、僕の心の中で渦巻いていた。
事故から一週間経ったころだろうか・・・彼女が「あきおくん、お手紙よ」と言って封書を渡してくれた。「開けてあげるね」と言って開封すると、中から数枚の写真が出てきた。「あ〜、彼女?奇麗なひとネ」と言って、ちょっと拗ねたような顔をして部屋を出て行った。たしかにそういう存在の人からだったのだけれど。
更に一週間が経過して、彼女が赤ちゃんと一緒にご主人の下へ帰る日が来た。「心配だからもうちょっと居てあげたいけど・・・ごめんなさいね」そう言って僕の頬にチューをした。そして「横須賀から手紙を書くね。ペンネームで出すからね。彼女さんに怪しまれないように・・・」そう言って今度は頬擦りをして部屋を出て行った。
松江に帰った僕に、かなり頻繁に彼女から手紙が届いた。彼女の現実生活の中に暗雲らしきものがあったのか?具体的なことは何も書かれてはいなかったけれど、言外に彼女の淋しさのようなものを僕は感じ取っていた。いつものことだけれど、僕の生い立ちから来る何かが彼女を刺激したことは確かだと思った。それは・・・致命的なくらいの(母性愛欠乏症)であり、いつも無意識のうちに遠くを見ているような(世捨て人)的な表情だと思った。