『臨終のことを先に考えていぬ者に…」
誰もが、人は死んでも自分はまだまだ死なない・・・と思って生きている。
癌告知(ステージ〇)最近の医師は非情に見える。
当人に、いとも簡単、事務的に告知する。
「手術・・・無理ですね。肺が無くなってしまいます。」
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ここからが本当の覚悟というものなのだろうか。
自分が告げられたような何とも言えない空気が漂う。
確かに・・・生きとし生けるもの〜いつかは必ず死を迎える。
漠然としたその日が、明日かも知れないと言われて初めて
人間は{死」を実感する。
これからだ!
未練がないと言えば嘘になるが、これからだ。
これからの日々が人生の最終章を書き上げる。
♪愛した人は・・・
この時代に生まれ合わせた。これは避けようのない事実です。
過去の戦時下であれ、大災害下であれ、こればかりはどうしようもない。
要は、受け止め方の問題です。
戦時下であれば、非国民呼ばわりされた人たちもあり、英雄視された(祭り上げら
れた)人たちも少なくない。どっちがどうか?これは難しい問題だ。
犬猫のような無駄死になのに・・・当の本人の肉声は聞けない。残された者の
心の落ち着かせどころとしての名誉ある戦死者なのだ。それは特攻死した叔父を持
つ僕の偽らざる心境だ。何よりも生みの親の慟哭は推し量る術もない。
現在の非常事態は戦争時と比べることはできないのかもしれない。なにせ僕たちは
<戦争を知らない子供たち>なのだから・・・。
それにしても、歴史に学びを持たない我々だな。刹那主義とまでは言わなくても
右肩上がりのラインの中に居れば、過去を忘れ、更なる未来を妄想する。
突き落とされて、うろたえて、政治の所為にして、・・・一緒じゃないか。
何一つ変わっちゃいない。しっかりとした自己を持とう。ひるまず、挫けず、
耐えてみせよう。過去の名もなき多くの人たちがそうして生き抜いたように。
21歳の頃、ヒッピーかぶれの僕は、バイト友たち3人と映画を観に行った。
「ギミーシェルター」
ローリングストーンズの強烈な刺激的な映画
観終わっての帰り道
みんなのステップが、滑稽なくらい激しいビートに洗脳されていた。
