私は今も、前方に光明を見ている。闇の中に一点の光を見る。闇というものが
如何に厚っぽい、重々しい、深い遠い垂れたものかということと、そういう完全な
闇の中にも一つの点の明るさがあって、それはぼうと白く霧の中の明るい小さな穴を
なしていて、しかもその穴からはいくら外をのぞいてみても、仮相の形象の何一つ
見えないということを、私は丁寧に知った。これは経験である。自分の指先さえ
見えない深い木の間の闇夜より、なほ厚い閉ざされた垂れ下がった闇があったことを、
私は戦後にまざまざと経験して知ったのである。しかし私は自分がその闇の住人となる
「不安」を毛頭も意識しなかった。
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昭和二十年代から三十年代の前期にものを学び教えられた若い年代は、最も卑しい者や
卑しくなったものに、卑しい方法で卑しいことを教わったということを、一度反省して
みる必要がある。たしかに卑しいと納得し、しかもそれを自分の責任で反省する者が、
次代のまことの変革精神の核となることを私は信じている。
【保田与重郎】
これっぽっちしか
できないんです
それでいい
それでいい
それでいいのです
あれも
これも
ではなくて
あれが
これが
なのです
【横田 武】
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達観の域の先生に、何もかも反発して、いきってた二十歳の自分。
それさえも見透かされて、ただ無言で見守り続けてくださった。
先生 僕は何でも先生の逆です
そこで先生はおっしゃりたいのでしょう
物にも事にも裏表の二つの顔があるのだと
わかっているんです 先生のおっしゃることすべて
でもどうしても ああ これが人生なんだと
割り切れない 悟りきれないのです
それこそ 本当の負け惜しみのような気がして
こうして何もかも反発しているのです
お許しください 先生
二十歳の詩集

猛暑日続きの京都…まさしく外は危険だ。
昨日、所用のためバスで出掛けた。乗り換えが必要だったため、次のバス停で
待っていたら、老婦人が女子大生に何やら頼み込んでいた。断られたようで、
今度は僕に。バス賃を貸して欲しいらしい。一瞬、これは詐欺だな…と思ったが、
黙って230円渡した。そして彼女は到着したバスに乗り込んで行った。想像するに、
彼女は無賃乗車証を持っているはずだ。おそらく先のどこかで降りて、
また同じことを繰り返すはずだ。
これを半日もやれば、千円、二千円は稼げる?だろう。
成功率は三割か五割かわからないが…。寸借詐欺というやつなんだろう。
僕は、そのせいとは言わないがバスの系統を間違えてしまい、遠く離れた場所で
下車して2キロほど歩く羽目になった。炎天下、持って行ったタオルが汗にまみれた。
これなら、タクシーに乗った方が良かったかな…と自分を責めた。八つ当たりする
物も無く、「あの婆さん、いい死に方は出来んよ」と思いながら、ひたすら
汗を拭き拭き歩いたのだった。