松鶴家千とせの漫談 「わかるかな〜・・・わかんねえだろうな〜・・・」シリーズがあった。 それを真似たマイ・パターン 過去のブログ
人間と動物を一緒にするわけではないが、まだ言葉を発しない赤ちゃんが 興味ある(好きな)人に寄って行くのは、本能的な感知力だと思う。 過去のブログ
最近のアルバイトの延長的な接客に比べて、昔は鋭い観察眼を持った ホステスさんが多かったように思う。人には言えない濃い人生経験があったり、 一方で異種異様(?)な客たちと接することがそうさせるのか? そうした中での探り合いとか、会話の積み重ねが心の奥底を和ませる。 まさに(何のために飲むのか?)の答えがそこにあるのだと思う。 過去のブログ
コロナ禍理由は勿論だが、それ以前からほとんどと言っていいくらい 外へ飲みに出ると言うことは極めてまれになっていた。 若かりし頃のこんな場面が懐かしい・・・ 過去のブログ
この記事を書いた時、僕も苦い思い出が甦った。あれは小学校入学前だったろうか? 果物屋さんのミカン一個のできごとだった・・・ 過去のブログ 父には連絡があっただろうに・・・父からは一言の咎めも無かった。 逆にそれが胸を締め付けた・・・
いかに苦痛な人生であろうとも、この世に「生」を与えられた というほどの恩恵は、この地上にはない。そしてこれを自覚し、 自覚させるのが、宗教の使命といってよい。 森 信三
母の日に・・・ 過去のブログを振り返ってみた。
私は休火山か それとも活火山か 少なくとも死火山ではない 心の奥底のマグマが 沸々と燃え滾っている 幽かな抜け穴は見当たらない 数ミリでも亀裂を確認すれば 鋭い感覚で抜け出てみせるものを・・・ 何に対して怒り 燃えているのか 対外ではなく 己自身への憤懣なのか それさえも自覚できない 外気に触れることなく 心内で膨張しきった時 私は存在し得るのだろうか
高すぎない目標をきめて 必ず実行する。 ここに「必ず」とは、 唯の一度も例外を作らぬ… という心構えをいうのである。 森 信三
僕は 常に 誰かにとっての 目の上のたん瘤 という存在で いいと思っているのです いや むしろ そうあり続けたいと 思っているのです 煙たい存在 目障りな存在 それが無ければ 暴走を生み出しかねません そう思いませんか?
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