あれは小学校の低学年のころだったろうか。僕は父が勤務していた田舎の小学校の宿直の時、一緒について行って宿直室で泊まったことが何度かある。教室棟からちょっと離れた場所に用務員室があり、そこが宿泊場所となっていた。当時は用務員のひとを「小遣いさん」と呼んでいたような記憶がある。曖昧だが・・・。あるいは夫婦だったのかもしれない。晩御飯をごちそうになった記憶もうっすらとある。
夜の何時ごろだっただろうか、決まった時間に校舎の見回りが義務付けられていた。父は懐中電灯ひとつを持って部屋を出た。僕は一人で部屋に残される方が怖くて父の後をついて行った。たぶん夏のことだったんだろう、まわりの田んぼからはカエルの鳴き声が喧しかった。
父は不意に電燈を消して僕を驚かせたり、わざと怖い話をして僕の反応をおもしろがったりした。かと思うと、急に大声で歌を歌いだしたり奇声をあげたりした。(後々僕はそれらの行為を宮沢賢治的と捉えてよく思い出した)
見回りのあるとき、僕はお腹の調子が悪くなり、父に訴えた。その時の父は一緒に便所までついて来てくれて、「腹を時計回りにグルグルグルグルとゆっくり回すんだ」と言った。「もっと姿勢をちゃんとして!」言われた通りにすると、やがてお腹の中でゴロゴロしていたものが、一気に下降してスッキリとした。
似たようなことが生まれ故郷の隠岐の島へ帰る船の中でもあった。いわゆる船酔いなのだが、父は僕をトイレに連れて行き、「人差し指を喉の奥に突っ込んで下へ押してみろ!」と言った。半信半疑ながら言われた通りにすると、「オエッ!」という声とともに腹の中のものが口から飛び出してきた。「もう一度!」何回か繰り返しているうちに、もう吐き出すものはなくなってしまった。その時はどうなることやらと思えるような苦しさだったが、あとは爽快そのものだった。
僕は甲板に上がって日本海の荒波を前に、大きく深呼吸をした。

安心しいるということは、
能天気に油断しているというのとはまったく違う。
物事にかしこく対処し、注意をはらい、
生きることに努力しながら、しかも根底では
安心している・・・。
そういう人間であろうと絶えず己に言い聞かせることだ。
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「正しいやり方を繰り返しなさい」
正しいやり方は、最初は難しいし、
何度繰り返しても身につきにくい。
だからいつのまにか、正しくないやり方へと
逃げてしまう。
だが、あきらめず、ひたすら繰り返していれば
いつか難なくそれができるようになる・・・」
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「草原の椅子」(宮本 輝)
やると決めたことは、倦まず弛まずやりつづける。
たとえ進み方がカタツムリのよりも遅いほどであろうとも、
生きているかぎりやめようとしない。
目くじらを立てることもなく、鼻息を荒くすることもなく、
決意を声高に語ることもなく、やると決めたことを
途中でやめたりはしない・・・。
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ありとあらゆる人間が、
ふるいにかけられているんじゃないかって気がするよ。
人間だけでなく、国というものも。
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「やっかみ深い民族だよ。
なにかっていうと他人のことに干渉しやがる。
そのくせ自分が干渉されると
自分の間違った考えや行ないを棚に上げて
逆恨みするんだ。」
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「草原の椅子」(宮本 輝)
