隆夫さんの思い出
隆夫さんが知夫へ帰ってきたのは、たしか昭和十八年の秋であった。その頃私は隣島の海士村に勤務していて、郷里知夫にはいなかったはずだが、記憶の糸をたぐり寄せると・・・
その夏私は自分の不注意から満二才の寛典を失った。私たち一家四人は御波小学校の狭い宿直室で暮らしていたが、寛典は生まれつき皮膚が弱かったのか全身湿疹で、包帯だらけだった。(頭に包帯を巻いた小さい身体が、板間の控室で竹刀をふりまわしていた姿が目に浮かぶ)ある人がこんな子は潮につけたらと言ったのを、まにうけたのが災いのもとだった。ある日一家で近くの海岸へ水浴に行った。その直後寛典はおかしくなり、家内が夜中に「お父さんはや起きて」と騒ぎ出した。急きょ知夫へ連れかえり(近くに医者がいなかったから)すぐまた別府の勝部医院へ便船で運んだが、さすがの名医も首を傾げるばかり、絶望は目に見えていた。「とうちゃん、いかあやいかあや」とせがむ寛典を背負って、自宅の周りの坂道を行き来したのが、痛恨の思いとともに蘇ってくる。八月二十二日あえなく他界、心ばかりの葬儀をすませた。
前後は忘れたが、その九月から母校を会場とする文部省主催教員再教育の三か月研究科入学通知があり、暗い悲しみの中で支度をしていたが、家内の様子がどうもおかしい。愛児死別でたいそうやつれているようなので、このまま農事に忙しい両親のもとへ残しておいたら大変なことになりそうだという不安にかられた、五才の長男もろとも三か月いっしょに松江に連れだすことにし、家内の従姉の山田テフさんに頼んで、法吉村国屋の農家の離れを借りることができた。
その年の秋は大水害があり、水につかった黒田の畦道を当時の法吉役場へ米穀通帳などの手続きに行ったこと、十一月のおいみさんに長男の喜久を肩車にして詣ったこと、幸子(家内)がテフさんと従姉妹どうし付近の山を薪拾いに歩き回ったことなどそのほかいろいろ思い出される。そして全く本人さえも初めのころ気がつかなかったのだが、次女の素子が腹の中にいて、三か月の間にみるみるふくれあがった。
隆夫さんが知夫に帰ったのはたぶんその松江に出るまでの短期間うちにいた時にちがいないと思うのだが、明治大学を出て、就職直後だったはずだ。後から思い合わせると、姉二人(島崎の伊佐さんと幸子)いる、父母の生まれ故郷へそれとなく別れを告げに来たにちがいない。ごくわずか二、三日しかいなかったと思うのだが、その決意を秘めて、後で海軍志願したと聞いて、あっと驚いた記憶がある。隆夫さんと軍人、およそ考えられない取り合わせだった。そしてまさか二年後戦死などと思いもよらなかったから。
隆夫さんは見るからにおとなしい、まじめな性格だった。兄弟姉妹みなそうであるが、隆夫さんがまさか自ら志願して軍人になろうとは夢にも思われなかった。谷川のお父さんはすでに亡くなっていたが、この、平時であれば考えられもしない二十歳の若者(ほんとに若い!私たちもそうだったが)を戦場へ駆り立てたものは何であったか。本土死守、皇国護持、一人で優秀な飛行機乗りがほしい、純真無垢な若者はただひたすらに、この父母の国、最愛のはらからの国を鬼畜米英の来週から護らざればという一念のほか何ものもなかったに違いないのだ。
それからの〜母ハツさんの半狂乱とも思われる飛行場巡りが始まる。名古屋ー美保基地、あのころのお母さんの心事、「軍国の母」ということばはあるが、とても簡単に語りつくせるものではない。
隆夫さんは美声だった。稀にみる美声だった。今生きながらえてのど自慢にでも出場したら、ぜったい金賞まちがいなしの美声だった。私たちの結婚の里帰りの晩餐祝宴で歌った学生服姿の美声は(なんの歌だったか)終生耳の奥にはりついてはなれない。
(平成六年十月二十四日 渡部一夫)
※隆夫叔父は昭和二十年四月七日 特攻隊で戦死
「甘受」〜雨に濡れたくらいの腹立ちはすぐ消える。
しかし人間関係となると、心の奥底にグサリと突き刺さるようなものが多い。
ニタッと笑ったから刺し殺したという話に驚くが、これは人間に怒りの心が
存在し、事に触れて爆発する事を示す。
その事が問題ではなく、自分にある怒りの存在が根本問題なのだ。
この事を知るのは苦しい。
自分が受ける結果は、自分に原因がある(自業自得)と言う事実すじ道を
無視して来た、過去人生を清算しなければならなくなる。大変。
(田辺 聖恵)
笑いかけてくれ 僕のために
作り笑顔しか できない僕に
思い出させてくれ あのころのことを
ひたむきに生きて 見つめ合った二人を
サヨナラなんて 思いもせずに
手を握るだけで 勇気が湧いてきた
一日一刻が いつも輝いていた
真っ赤な夕日は 淋しい色じゃなく
明日また逢える 希望の色だった
笑いかけてくれ 今の僕のために
笑おうとしても 笑おうとしても
泣き顔になってしまう 僕のために
軽やかに半音を切り替えるハーモニカ演奏〜クシコスの郵便馬車
体育館に響き渡る〜「nice shoot!」の声
防波堤に翻るスカート
鮮やかなコバルトブルーのシャツ
薄暗い跨線橋下を通る爽やかな風
見舞いの便箋に添えられた数枚の顔写真
バイク事故の体への献身の看護
別れの時の頬へのくちづけ
ペンネームで寄せられた何通もの手紙
「どうしてそんなに苦しい方へばかり行くの?」
離島で眺めた満天の星空
遠路はるばるやって来た湖畔の宿の別れ
「結婚しました」の短い文面の葉書と代わった苗字
流れるように達筆な文字
勝ち気で颯爽と歩くミニスカート
「思い出に・・・」と差し出すものは受け止められず
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巡る巡る〜時代は巡る
不気味な静寂が部屋を支配する
外からも音らしい音は聞こえてこない
時折風が隣の洗濯物を揺らすだけ
パソコンで観ているユダヤ人ガス室送りの
映画のせいかもしれない
まるでその時代にタイムスリップしたかのようだ
人間の愚かさはどこから来るんだろう
当事者は自分が後世に裁かれる存在だなんて
思ってもいないだろう
現代も同じようなものだ
明らかな軍服と武器を持たないだけで
やってることは愚か極まりない
市民は無抵抗に追いやられ
運としか言いようのない気まぐれが
人々の生死を分ける
暗闇と無音のなかで
携帯のバイブ音に
現在に引き戻される
