きみは悪くない。
精一杯正直に生きてきたさ。
親の意向に従ったことも、きみの環境なら仕方のないことさ。
もし、時の悪戯がなかったなら、まったく変わったかもしれないね。
人の出会いというものは、悲喜劇の連続だ。
良き夫婦を、良き妻を演じ続けるのはさぞ辛かっただろう。
親を悲しませたくなかっただろうからね。
もう少しの辛抱さ。
最低限の親としての責任を果たし終えるからね。
遅れすぎた再会が、伴侶への幻滅を加速させる。
それは理解できるような気がするよ。
無頓着、無知、無慈悲・・・
「無」と付くものの全てを持ったような人だね。
最悪なのは、そのことに本人が気づいていないことだね。
二重に生きることを習得したことが、良いのか悪いのか?
僕には何とも言えないよ。
割り切りと言ってしまえばそうなんだろうけど・・・。
世の中には、同じような境遇の人が多いんだろうな。
諦め、最低限の義務、自分だけの光・・・
僕は、そっと見守るだけだ。
そのことを、ずっと前のあの時に託されたように思う。
そう確信している。

「初めから失われていて、生涯、決して手に入れることのできない父性」・・・。
二重生活(小池真理子)
僕の場合は、【母性】なのだが・・・
加えて、【家庭的温かさ】とでも言おうか、これらの欠落が、僕という人間を形成
するにあたって、大きく影を落としているのは明らかだ。
一つの家庭を築き、子供たちや孫たちに囲まれた生活であっても、その影は消えて
しまうほど薄っぺらなものではない。
家の中のざわめきの中で、ポツンとしている自分がいる。孫たちのはしゃぎ声や
テレビアニメの騒音さえ、耳に入ってこないくらいの深淵の中で、僕は膝を抱えて
顔を埋め、かすかな母のイメージを確かなものにしようと彷徨い歩く。

『「好きな人」と言われるより「大切な人」と言われたい。』
そんなことを言うひとだった。飛び抜けて次元が違うというわけでもないが、
薄っぺらな恋愛感情とは違った存在ということだろうと受け止めた。
でも、そのレベルに行くまでの過程として、「好きな人」〜もあるんじゃないの?
と僕は心の中で思ったものだ。
あれからう〜んと時を経て、僕は同じ言葉に出会った。
思い返せば、その君はまだあどけなさを残した中学生だったんだものね。
親や知人の敷いたレールを歩んできた君が味わった挫折と失望。
環境として、君とは対極にいた僕は、そんな君の未来を想像すらできなかった。
