決めつけて、断定的な物言いをする。
あたかもその言葉の対象者が、それだけの人であるかのように・・・
それは僕にはできないことだ。
洞察力、観察力が違うのか?
好みの違いなのか?
あの人と違って、僕は、あなたの弁護派だ。
というより、理解派だと言った方がいいのかな。
あの人には見えない〜あなたの輝きが、僕には見える。
誰の言葉だったのだろうか?
「この世で 会うべき人には
必ず会う」
確かにそれを実感する。
通りすぎたかのようなひとも
思いがけない再会もあり
新たな発見もある
更に言えば、
人もまた成長、変化を
遂げているのだ
さて、己はどうだろう?
人様にとって
再発見に値する
成長を遂げているのだろうか?
「つまづきの無い人生ほど、
つまらないものはない」
誰の言葉だったっけ?
でも、言いえて妙 だよな
順風満帆人生は、
むしろつまらない
心の奥底では、
渇望しているはずだ
大波 小波 どんと来い!
経験したことに変わりはないはずなのに、まさにその時の感覚と、半世紀を越えて思い出すのとでは、これほどまでの違いがあるのかと驚かされる。
当時十八歳の僕からすれば、二十三歳の彼女は、とんでもなくオトナに見えた。年取ったという意味ではなくて、ホントに大人感がいっぱいだったのだ。いま、間近に見るその年齢に達した姪っ子たちを見れば、比べものにならないくらい幼稚に見えて、どうかしたら彼女たちの親でさえ、その存在感からしたら、当時の彼女の方がオトナに思えるくらいだ。
そんな目で見れば、高校生や中学生である孫たちでさえ、同時期の僕と比べても、はるかに幼く見えるのは、どうしたものだろうか。
おそらくこれは僕の推測ではあるが、歳を重ねた自分の意識や視点が、若かりし頃の自分と同化して、当時の自分をオトナ化して観ているのに違いない。おそらくは、当時の僕も、ホントは彼等彼女らと一緒で、幼いこと極まりない存在であったに違いない。
やり直しのきかない人生。一度きりの人生。・・・が、しかし・・・思い出は新たなストーリーを展開して見せる。それが僕の願望なのか、はたまた彼女たちの悲願なのか。鮮やかなまでのストーリーを展開して見せる。
現実界には存在しない彼女たちでさえ、この現世に蘇り、僕に囁きかける。
ラーニングは事前にスマホで行い、今日は実際の行動授業。
AED,人工呼吸
心に残った言葉は・・・
「たとえ胸の骨が折れても、力の確実に伝わる動作を!」
骨よりも<命>が最優先!というわけだ。
消防士さんの気概を感じた。
人間の存在する宇宙への意識がいかに拡大されても、数億光年遠くの宇宙の確たる存在を認知できることになっても、人間の生命の限りがそれで拡大されるわけでもありはしまい。人間の存在の意味や意識が膨張するわけもありはしまい。我々は宇宙時間総体に比べれば、まさに瞬間的な時間にすがって生きているのでしかあるまいに。
石原慎太郎