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遠い世界に

母 二十歳

長女 成子・・・一歳一ヶ月で逝く



 愛児夢限

バーミリオンに灼けた
地平の一本道を
ちっちゃい頭が
ひとりぼっち
とぼとぼと
消えていったよ




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或る人に捧げる私の弁証法

その人はまぶしい
僕は応対にひどく気を遣う

その人の得意な笑顔
一点の曇りもない爽やかな笑顔から
僕は逆に
宇宙の寂寞をよみとる
まるで星座のような

そうです
そしてまた
人知れぬ夜空の深淵に飛び交う
閃光のささやきを

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現実社会大学

僕は入学した

現実社会大学

本当の大学なら普通は四年で卒業だけど

僕は何年で卒業するんだろう

実は分かっているんだよ

ずっと留年ってことをね

何が卒業の証なんだろう

だれがそれを認めるんだろう


僕は人生を凝縮して生きている

昨日が今日で

今日が明日になる

でも・・・でも・・・

巡り巡った円環は

その出発点さえを消し去ってしまう

僕は果てしない球体を

また今日も

違う軌道で彷徨っている




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カタカナ

母の母はカタカナしか書けなかった

手紙を見たことがある

・・・けど五人の子を見事に育てた

父の母は字が書けなかった

手紙は見たことがない

・・・30キロ台の小さな体で十人もの子供を産んだ

その内四人は近隣へ養子に出された


カタカナだけの手紙には

心がストレートに込められている

漢字に勝る説得力がある

そう僕は感じた

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吃音

 今はどもりと言えば差別用語に近いらしいが、小学校時代、同級生に吃音の子がいた。彼は姓がアイ〇なので名簿が一番、僕がワタナベなので名簿は最後。そんな関係性もあってかなくてか、彼はなぜか僕に近づいてきて友達になった。遠足やなんかの行事の時はいつも一緒だった。彼のお母さんは随分と吃音のことを気にしているみたいで、僕に過度のお礼を言われたが、僕はさほど意識せず自然に付き合っていた。六年生になった時、彼は親の都合で橋向の学校へ転校して行った。

 吃音と言えば、僕の尊敬する故西部邁氏が、かなり強度の吃音だったと本で知った。高校時代まではその所為でほとんど人前では喋らなかったらしい。しかし東大に入って学園紛争の真っ只中、かなり多くの聴衆の中で、歴史的な大演説をぶったらしい。そしてそれっきり吃音から解放されたと聞いた。それから数十年後のテレビでのあの活舌を聴けば、氏が吃音だったとは想像もつかない。物事は何が転機になるかわからない。

 吃音とは違うが、僕の赤面症もかなりのものだった。しかしそれも放送部のアナウンサーという経験が、その症状を和らげてくれたように思う。大人になって「物静かなナベちゃん」で通っているが、酔えば大演説家に変身するのを知ってくれている人は少ない。まあ、それだけ酔っぱらってしまうことは稀であるということの裏返しなのかもしれないが・・・。


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巡礼

〇苦しみ働け、常に苦しみつつ、常に希望を抱け。永住の地を望むな。

此の世は巡礼である。



〇人間がもっとも心をひきしめなけれなならないのは、不況に際してではなく、

好景気のときなのだ。



〇どんな花にも、どんな木にも、みな名前がある。雑木林というのは

人間の作った勝手な言葉だ。


              山本周五郎


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歩く

歩く、歩く

文明の利器さえも、意識せず

当たり前と思っていた、車のハンドルを握らず

僕は・・・

歩く、歩く・・・

歩き通す

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生の完結

○人生の生き方の理想としては、いつどこで命が果てようとも、それを以て、

わが終末と同時に、わが「生」の完結であるような生き方をしたいものである。

それには、何時「死」に見舞われるか知れぬ己が「生」の有限性を徹見して、

わが生涯の終末を、常にその念頭から放さぬ心掛けが大切である。


                    森  信三

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相似

相似の報い

これは当事者でなければ分からない

何かを犯す(侵す)

その事象の同じことが

わが身に跳ね返ってくる

問題は・・・

其のことへの懺悔と反省の上に立って

そこからの再出発だ

もし、居直り正当化すれば

同じことが又してもわが身に降りかかってくる

もっと素直になりなさい

もっともっと正直者でありなさい


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欠片


この世は不条理なことばかり

わが身の立場からすれば・・・の話

対象者はその欠片も抱いてはいない

至極当然とばかりに、淡々と事を進める

まさに事務的に

その何気ない言葉が、下した裁決が

対象者にどんな影響を及ぼすかなんて

これっぽっちも思ってはいない

それがこの世の中

まさに浮世

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