小学校の遠足の二三日前
汚れたズック(布靴)をタワシで懸命に洗った。
親にあれこれと買ってくれとは言いづらい時代だった。
昭和二十年代の話。
当時は、さすがに裸足というのは無かったが
平素はゴム草履か黒い短靴を履いていた。
どこの家も総じて貧しかったから、履物にそれほどの
執着は無かった。しかし、
大人ならよそ行きの服とか一張羅とかいう言葉が
存在する時代だったから、子供にもそれなりの意識はあった。
子供なりのよそ行き感覚だったんだろう。
徐々に異性を意識し始めて、体裁を考え出したということだろう。
実のところは、そんなひとの風体など気にはしていないのだが
子供なりの自意識というか、そんな感情が芽生える時期だった
のかもしれない。
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
好きと言ってくれてありがとう
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
バスケへのひたむきさをありがとう
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
アナウンサーに成れなくてごめんなさい
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
あなたは僕の太陽でした
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
あなたの純情を受け止められなくてごめんなさい
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
あのまま一緒にアメリカへ行きたかった
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
心のブレーキを踏んだあなたは大人でした
あなたに会いに行こう
そしてこれだけは伝えよう
ただ一言
ストレートを体言してくれたのはあなたでした
置き去りにされた悲しみは
あなた方には分かるまい
置き去りにされた淋しさも
あなた方には分かるまい
大人の浅はかな感覚は
子供の実感には及ばない
外灯のないバス停で
ひたすら帰りを待っていた
田舎町の運行間隔には怒りさえ覚えた
もう七十年の年月を経ても
こびり付いて離れないあの時の淋しさ悲しさ
わかっていたさ
いや今なら言えるさ
それだけの存在の自分であったと
そんな自分を
天の実母は
どんな思いで見ていたのだろう
そこのあなたに温もりを求めるには
僕はまだまだ幼すぎた