同じ事をするのなら
嫌々ではなく
喜んでとまではいかなくても
進んでやろう
その中で・・・
その結果として・・・
相手に僕の心の一分でも伝われば
それで良し
少なくとも代償は求めまい
無償の愛とまでは言わないが
それに近い心で動いている

「無償の奉仕」というけれど
もし当事者がそうであるのなら
その言葉のどうこうすら意識しないだろう
「無」とはそういうことだ
いささかでも、その欠片でも意識するのなら
「無償」とは言わないのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「波長が合う」というのは
単に好き嫌いのレベルではなく
「魂のつながり」と言える
一昔前なら、「豪快な生き方」とか「破天荒な生き方」とか言われて
むしろ良いイメージ的扱いを受けていたわけだが、今のご時世では
様々なハラスメントの加害者扱いをされる。
時代と言ってしまえば、たしかにそうなんだが・・・
いわばその過渡期的な今日で、羨ましがられるどころか
犯罪者的立場に追い込まれた人たち(有名人)にしてみれば
「あの人も・・・この人も・・・」の恨み節も出てくることだろう。
「なんで俺だけが・・・」を発する前に、冷静にじっくりと
己の麻痺した感覚を客観視するべきだろう。
どこらへんで留め置くか!
このラインが重要な意味を持つ。
有名人ならずとも、似たような輩は僕の周りにも存在する。
まったくの私的な立場(一観客)でありながら、競技中の女性を
カメラに収めていた。さすがに僕は止めに入ったが・・・
当事者は一端<カメラマン気取り>でいるわけだ。
以前、警察沙汰にこそならなかったが、同じような行為で
対象の女性が心を病むところまで行った張本人なのに
<懲りない奴>とはこのことだ。

いい大人のそんな表現をシャイと言えるのかわからない。
歌の文句じゃないけれど、「逢えば別れがつらくて泣ける 逢えなきゃなおさら…」
ある集合体のなかに、あなたの姿を捜す僕がいた。もちろん
表面上は、その欠片すら見せない。でも、目を見れば気付く人は気付くだろう。
ある場面で、思いがけず背後から軽く肩を叩かれた。驚いた僕にあなたは言葉にはせずに
最高の笑顔を残して行った。
僕の目線が届いていたのだろうか?意識は鋭い弓矢として相手に届くようだ。
200人近い集団の中の眼差し。それが届いたと言うのだろうか!
僕は年甲斐もなくウィンクを返していた。
実技的成績はともかく、そのファッション性と溌剌度はナンバーワンなんだけどな。
僕は、本部席で大会の熱戦を見守っている。
