ボーイスカウトの訓育会でのこと
みんなを野外に集めて、目隠しの鬼ごっこゲームをやった。
鬼は目隠し、他のものは決められた円から外へは出られなかった。
捕まえた者の名前を当てるというゲームだったのだが・・・
何人目かの時に、僕が捕まった。
抵抗したつもりはなかったが、僕は高く持ち上げられ、そして落とされた。
草むらではあったが地面は固く、僕は運悪く後頭部をしこたま打ち付けた。
そこで意識を失った。
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三日三晩、僕は昏睡状態だったらしい。
幸い意識は回復したが、その後かなりの年数〜偏頭痛に悩まされた。
ちょっと運動をすると、後頭部に重い石がひっついているようで
二十歳を過ぎてもずいぶん悩まされたものだ。
あのころ・・・
あの時、トンネルの出口だと思った
丸く鈍い光は幻だった
砂漠の中の蜃気楼のようなものか
いくつもの曲がり角や別れ道
ほとんど勘みたいなもので歩いてきたけど
これを選択ミスと言われるのかな
でも・・・
どんなに滅入ったって立ち直れるさ
立ち直ってみせるさ
たとえ絶望の淵からでも
デパートの地下二階のエレベーターの中で
庫内灯を消してみたあの時
冷気と暗闇が体を包み
地獄を垣間見たような気になった
呼び出しのランプに救われて
僕はその階へ上がって行った
もう半世紀を超えた今でも
あの詩が空で蘇る・・・
デパートの最上階の機械室
油の臭いとエレベーターのワイヤーを巻き上げる音だけの
あの薄暗い機械室で
きみはいつも呪文のように繰り返していた
最高の塔の歌
あらゆるものに縛られた
哀れ空しい青春よ。
気むずかしさが原因で
僕は一生をふいにした。
心と心が熱し合う
時世はついに来ぬものか!
僕は自分に告げました、忘れよう
そして逢わずにいるとしよう
無上の歓喜の予約なぞ
あらずもがなよ、なくもがな。
ひたすらに行います世捨てびと
その精進を忘れまい。
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(ランボー)
彼女のきみへの眼差しは違っていた
明らかにね
僕には向けたことのないものだったよ
だから・・・
わかるだろう
僕の・・・負けだ
勘ぐりすぎだよ
そんなことあるわけない
事実、きみたち二人は・・・
いや、もう止めにしよう
今さら〜の話だよ
♪遠い世界に 旅に出ようか
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もし旅先で彼女に逢えたなら
優しく微笑みあえるかな
人生最大の屈辱と言えば、もう三十数年前の話だが・・・
生後間もなく娘が入院した時、義母に「うちの家系にそんなのはおらん!」と言い
放たれたことだろう。
車のハンドルを握りながら、涙で前が見えなくなってしまった・・・。
僕にはまったく実感を伴わないことだらけだった。何一つ・・・言葉としても体の温もりとしても、母を感じる材料は、僕の中には残されていなかった。あるのは兄の語った二人のある場面や、父の書き残した言葉から想像することだけだ。
「よちよち歩きのおまえを、坂の上で待ち構えて、両手を大きく開いて迎え入れる母の姿は、ほかの兄姉には見せない、何とも言えない愛情が溢れていたよ。羨ましいくらいだったさ・・・」
「三つ子の魂なんとやらが本当なら、せめてこの瞬間をこの子の脳裏に焼き付けておこう・・・」
それらの場面は、映画のシナリオのように鮮やかに蘇ってはくるけど、そこには悲しいかな本物の温もりや感慨が沸いてはこない。小説の中の主人公にわが身を置き換えるようにしか・・・。
『「好きな人」と言われるより「大切な人」と言われたい。』
そんなことを言うひとだった。飛び抜けて次元が違うというわけでもないが、
薄っぺらな恋愛感情とは違った存在ということだろうと受け止めた。
でも、そのレベルに行くまでの過程として、「好きな人」〜もあるんじゃないの?
と僕は心の中で思ったものだ。
あれからう〜んと時を経て、僕は同じ言葉に出会った。
思い返せば、その君はまだあどけなさを残した中学生だったんだものね。
親や知人の敷いたレールを歩んできた君が味わった挫折と失望。
環境として、君とは対極にいた僕は、そんな君の未来を想像すらできなかった。
人ごみの中に君を探した
なにか目印を聞いておけば良かった
快活な若者たちの中では息苦しい
僕はビルの隅っこに身を置いた
行き交う人々が川のうねりのように見えた
こんな時は動かないことだ
腕組みをして目を閉じてみる
君の笑顔が浮かんだ時
肩をトントン
ほら、やっぱりね
さっき見たそのままの笑顔の君が立っていた
目と目で会話して
僕たちはゆっくりと歩き始めた
握り合った手と手の会話もいつも通りだ
そんなふたりを背中の夕日が
僕たちの前に長い影を作った
擬人法を学んだのは、たしか中学一年生の国語の時間だったと思う。
僕は何を擬人化して詩を書いたのだろう?
具体的な中身までは思い出せないが、先生に取り上げてもらった記憶がある。
おそらくは、草木や空の雲や虫たちだったのではなかろうか。
はるか時を超えて、思い出す歌がある。
♪もうすぐ春がペンキを肩に
お花畑の中を散歩に来るよ
そしたら君は窓をあけて・・・
馬が一頭いた。
牛も二頭いた。
鶏は記憶がない・・・生まれ故郷〜隠岐の島の家のことだ。
小さな手漕ぎ舟があった。
網や銛や釣り道具もたくさんあった。
晩のおかずの魚釣りや貝採りは子供たちの役目だった。
今や高級品のアワビやサザエもすぐ近くの岩場でふんだんに採れた。
家の横の畑では、野菜が栽培されていた。
ちょっと裏山へ足を延ばせば、柿・みかん・あけび・栗などの木があった。
半農半漁の生活・・・給自足的生き方とは、こういうものだと今つくづく思う。
冬の夜は、ランプの下で干したスルメイカの背中を伸ばして束にするのが
子供たちの役目だった。
囲炉裏は暖かく、団らんの場としては最高だと今でも思う。
風呂焚きも子供の役だった。
山水の溜め場から水を運び、まき割もした。
新聞紙から始まり、松葉から木の枝へと火を熾していった。
五右衛門風呂が懐かしい。
底板を踏む技術が思い浮かぶ。
母屋から離れたところに便所があった。
夜遅くに行くときは、本当に怖い思いをしたものだ。
懐中電灯が超貴重品だった。
今も忘れられない光景がある。
高台にあった家から入り江がきっちりと見下ろせた。
ボォ〜という汽笛を響かせて定期船が入ってくるのが見えた。
絵葉書に最適と思われるような素晴らしいアングルだった。