これは、僕の勝手な持論かもしれないけど
きみが失ったと思っているそのことは
実は、元々離れて行くべきものだった・・・と言えるのではないでしょうか
事の原因を、自分だけに向けて考えるのはお止しなさい
自覚、無自覚のどちらであれ
為したことは、必ず己に還ってくるわけですから・・・
本人(相手)が、どんなに正当化しようが誤魔化そうが
一番よく知っているのは本人自身なんですから・・・
ただ、この種の問題は十対零ということはあり得ません
認めたくないでしょうが、必ず何某かの非があなたにもあるのです
「善因善果、悪因悪果」とはよく言ったものですね
すぐに見せられるのは幸せと言えるかもしれません
とんでもなく後で、忘れてしまったようなときに
これがあの時の答え(報い)ですと突き付けられるのは怖い話です
対等に立ち向かうことは、相手と同じ次元に落ちるとよいうことも言えるのですよ
偉そうなことを書き並べてしまいました
読んだら一度忘れてみてください
そして、落ち着いたときに、もう一度読んでみてください
<人間の味>というものは、年を重ねる毎に増して行く。
僕が当時の彼女に誘われて観に行った映画が「卒業」だった。
当時、僕はダスティン・ホフマン演じる男と同世代だった。
映画に誘った彼女は、僕より5才年上だったわけだが、その中身に自らの想いを代弁させたのかもしれない。でも、これは随分と時を経てから思い至ったことだ。
今も思い出す残像としては、黒い下着や、教会の窓を叩いて彼女の名を叫ぶ姿や、S&Gの音楽だ。
その作品を介して、僕に彼女がどこまで語ろうとしたのかは、後々になって気付いたことである。
今日、はるか時を数えて、ダスティン・ホフマン(&エマ・トンプソン)主演の映画を観た。
数々の経験を経た人間でなければ、語れない言葉がある。仕草や表情もある。
ありのままの自分を、そのまま曝け出せる相手は、そうざらにはいない。
ましてや、ともにそれを認め合える相手ともなれば・・・。
どんなに挫折を経験しようが、年を重ねていようが、そういう対象者に巡り会えた人は、世界一の幸せ者と言っていいだろう。
真実っていうのは、語られないものなんだな。
資本主義、自由主義、民主主義・・・聞こえは良いが
内実は、どうもそうでもないらしい。
地球的規模においてさえ、ごくごく一握りの資本家、政治家たちが
今度はどこで、独裁打倒とか自由奪還の名のもとに戦争をおっぱじめようかという
わけだ。
新技術は当然、次の新技術へと繋がるわけだから際限がない。
古い爆弾をどこで使ってしまおうか。
新しい兵器をどこで試そうか。
これでは、地球を舞台にした戦争ゲームだな。
イノベーションがちっとも人間にやすらぎをもたらさない。
カダフィやフセインやムバラクの時代の方が良かった〜になる。
もっとスローに行こうよ・・・てならないのかな。
僕の極端論〜「鎖国しよう!」
「百姓しよう!」
「自給自足で行こう!」
「だめなら、土の肥しになろうぜ」

外観と中身が一致する人は希と言っていいかもしれない。
話してみて、「へぇ〜、この人そうなんだ」という人は意外と多い。
こちらが壁と感じている人でも、壁の向こうには共通項や意外性を有した人が
多いのに驚かされる。
人間を食わず嫌いとと言っては失礼な話だが、飛び込んでみるのも悪くない。
僕は、誘導尋問的なテクニックは嫌いだが、<一を聞いて十を知る>くらいの
器は持しているつもりだ。
物事は、特に人間は、平面的に捉えては失敗する。
多面的に、あるいは全方位的にと言うべきか、あらゆる角度からの視点を持たなけ
ればならないと痛感する。
雄弁、多弁なる者に、大いなる落とし穴あり・・・これはかなりの確率で正解だと
思うのは僕だけだろうか。
訥弁で、時に言葉に詰まったりする人の挨拶に、好感を抱くのは僕だけだろうか?
