父が歌を歌うのは、ほとんど聴いたことは無かった。
あれはいつのことだっただろうか…
雨の日曜日の夕暮れだった。
縁側に腰を降ろし庭先を見つめながら呟くように歌った。
♪アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい…
西田佐知子の歌だった。
亡き妻に想いを馳せていたのだろうか?
なぜ逝ってしまったんだ…私を置いて…
の想いだったのだろうか…
立場の違いこそあれ、僕と同等の感情があったのではなかろうか?
それを想えば、ふっと庭の柿の木の下に
雨に濡れて立っている母を見たような錯覚を覚えた。
父も、僕と同じで、二人の自分を生きていたのだ。

僕自身の習慣もそうなんだが・・・
日付が変わる前の半時間ほどが、この画面に向き合ったいる
習慣と言えば習慣
今日一日の何らかの証を書き留めておきたい・・・と
正直言って、下書き的に書く行為は、ほとんどないと言っていい
願わくば・・・
ボールペンや鉛筆で殴り画くようなものが
画面に表れないかな・・・と思ったりする自分がいる
瞬間ふっと・・・とんでもない言葉が蘇ったりする
「私が治してあげる!」・・・何を?
「左が小さかったね」・・・何の?
「意外と狭いでしょ?」・・・何が?
B型さんの面目躍如!
踏み込まれ、翻弄され、捨てられる
直感の鋭さ、怖さ・・・
こちらより数歩先を行く
追いついたと思えば、もうはるか彼方
本意と裏腹な言葉を発することのできる精神構造
そしてその分かりやすさ
その振り回されように酔う自分
こちらは、もう一人のじぶんを持っているつもりだが
貴女はあなたそのもの〜一個の個体
裏表のない一個の難解人物
