地球にはさまざまな美眺があるが、澄み渡った春の初めの青空に、真っ白な翼をひろげたハクチョウの(渡り)はかなり上等な美眺のひとつであろう。
タンチョウヅルは(渡り)が近づくと、日本で生まれ育てた子供のツルに対して、
「もうそばに来てはイケナイ。離れなさい」
と鋭く鳴いて追い払うのを知った。
【別れの鳴き】と呼ぶらしい。
その様子をテレビで見たのだが、昨日までのように親にすがろうとする子供を、鋭く鳴いて追い払う。その時の子供の戸惑うような目がなんとも切なかったが、しばらく見ているうち、これが生きるという行為で、親がそうするのは、彼らが今日まで生き延びているすべてなのだとわかった。
見ていて切なくなる子供の、救いを求めるような眼差しは、人間社会でいえば、可哀相だ、になるのだが、ツルは平然とそれをする。
そうしなければ生きていけないのだ。それが生きるということなのである。
以前、出版した本に「別れる力」というタイトルの本があったが、そこで母馬と子馬が別れるシーンを書いた。
姿が見えなくなった母馬を呼んで子馬は一晩中いななき続ける。
可哀相な声という人もあるが、立派な馬に育てるには必要なものであり、大きく、哀しくいなないた馬の方が立派に育つらしい。
そう考えると、今、一番ダメなのは、やはり人間だろう。
この頃、子供に対しても、ましてや可愛いと思う孫に対しても、厳しく接する親、祖父母が少なくなった。
【伊集院 静】
◯ことばの多き ◯口のはやき
◯とはずがたり ◯さしで口
◯出がら話 ◯公事の話
◯公儀のさた ◯人のもの言ひきらぬ中に物言ふ
◯ことばのたがふ ◯能く心得ぬ事を人に教ふる
◯物言いのきはどき ◯話の長き
◯かうしゃくの長き ◯ついでなき話
◯自まん話 ◯いさかひ話
◯物いひのはてしなき ◯へらず口
◯子供をたらす ◯たやすく約束する
◯ことごとしく物言ふ ◯いかつがましく物言ふ
◯ことわりのすぎたる ◯そのことを果たさぬ中にこの事をいふ
◯人の話のじゃまする ◯しめやかなる座にて心なく物いふ
◯事々に人の挨拶を聞かうとする ◯酒にえひてことはりい
◯さきに居た人間にことわりをいふ ◯親切らしく物いふ
◯人のことを聞きとらず挨拶する ◯悪しきと知りながら言ひ通す
◯物知り顔にいふ ◯ひき事の多き
◯あの人に言ひてよきことをこの人にいふ
◯へつらふ事 ◯あなどる事
◯人のかくす事をあからさまにいふ ◯顔を見つめて物いふ
◯腹立てる時ことはりをいふ ◯はやまり過ぎたる
◯己が氏素性の高きを人に語る ◯推し量りのことを真事になしていふ
◯ことばとがめ ◯さしたることもなきことをこまごまといふ
◯見ること聞くことを一つ一ついふ ◯役人のよしあし
◯子どものこしゃくなる ◯品に似合はぬはなし
◯人のことはりを聞き取らずしておのがことを言ひとほす
◯田舎ものの江戸言葉 ◯よく知らぬことをはばかりなく言ふ
◯きき取りばなし ◯人にあふて都合よく取りつくろうていふ
◯わざと無ざうさにいふ ◯貴人に対してあういたしまする
◯学者くさき話 ◯風雅くさき話
◯さしてもなき事を論ずる ◯人のきりやうのあるなし
◯幸の重なりたる時物お送りもらふ時有難き事を言ふ
◯くれて後人にその事を語る ◯おれがかうしたかうした
◯わかいもののむだ話 ◯首をねぢて理くつをいふ
◯いきもつきあはせず物いふ ◯好んでから言葉をつかふ
◯くちまね ◯都言葉などをおぼえしたり顔にいふ
◯ねいりたる人をあわただしくおこす◯説法の上手下手
◯よく物のかうしゃくをしたがる ◯老人のくどき
◯しかた話 ◯こわいろ
◯口をすぼめて物いふ ◯めずらしきはなのかさなる
◯あいだのきれぬやうに物いふ ◯さとりくさき話
◯説法者の弁をおぼえて或いはさういたしました所でなげきかなしむ
◯茶人くさき話 ◯くわの口きく
◯ふしもなき事にふしを立てる ◯あくびとともにねん仏
◯人に物くれぬ先に何々やらうといふ◯はなであしらふ
◯あう致しました こう致しました ましたましたのあまり重なる
その人はまぶしい
私はひどく気を遣う
その人の得意な笑顔
一点の曇りもない爽やかな笑顔から
私は逆に
宇宙の寂寥を読み取る
まるで星座のような...
そうです
そしてまた
人知れぬ夜空の深淵に飛び交う
閃光のささやきを
私たちの世代は「アンネの日記」を読み、ナチスによるユダヤ人迫害の歴史に心を痛めた。隠れ家の中で、恐怖に耐えながら、それでも人間であろうとした少女の声に触れ、理不尽な暴力に抗わなければならないと感じた。
しかし、あれから半世紀近くが過ぎた今、ガザで起きている現実を前に、深い矛盾と痛みを覚えずにはいられない。かつて迫害された民の記憶を背負う国家が、圧倒的に弱い立場にあるパレスチナの人々を狭い地域に閉じ込め、テロリスト掃討の名のもとに、女性や子どもを含む無数の人々を傷つけている。
もちろん、これを「ユダヤ人全体」の問題として語ってはならない。ユダヤ人の中にも、イスラエル政府の政策に反対し、ガザの惨状に声を上げている人々はいる。問われるべきは、イスラエル国家の軍事政策てあり、それを支える政治的、宗教的ナショナリズムであり、そして暴力を正義の名で覆い隠す人間の心である。
「息のあるものを一生生かしておいてはならない」という申命記の言葉(「息のあるものを決して生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように、必ず滅ぼし尽くさなければならない」「申命記」第二十章十六、十七節)は、古代の聖典の中に刻まれた恐るべき暴力の記憶である。問題は、そのような言葉が、現代の国家権力や軍事力と結び付いた時、人は自分の残酷さを残酷さとして感じなくなる。
人間をここまで残酷にするものは、単なる憎悪だけではない。自分たちは正しい、自分たちは選ばれている、自分たちは被害者であり続けている、だから相手に何をしても許される、という心の構造である。宗教がその心に絶対性を与える時、信仰は慈悲ではなく、殺戮の免罪符になってしまう。
「アンネの日記」が今なお大切なのは、ユダヤ人の苦しみだけを記憶するためではない。あらゆる時代、あらゆる場所で、国家や民族や宗教の名によって踏みにじられる一人ひとりの命を見失わないためである。ガザにもまた、名前を持ち、夢を持ち、恐怖の中で生きている無数のアンネがいる。その声を聞けなくなった時、私たちはすでに、かつて批判した暴力の側に立っているのではないか。
【長松清潤師】
表面上は言葉丁寧だが、その裏に棘がある。
そう言われても仕方のない立場は自覚してはいるが、腹の虫はおさまらない。
人生は流離い、まさにそうだ。
僕自身に刃を向けたとしても、対象物として存在しないことに苛立ちを
覚えることだろう。それは僕の作戦でもなければ誤魔化しでもない。
あなた方が対象とする人間(僕)は、実は空気のようなものなのです。
本物の僕自身は、斜め四十五度の上空から凝視しています。
ちょっと目線を上げれば確認できる存在です。しかし・・・
残念ながらそうして見上げても、確認は不可能でしょう。
別に何とかの術を使っているわけではありません。
四次元の世界とは・・・そういうことです。