精一杯、一生懸命……
その姿、有り様は、たしかに今のあなたの最高、最善の姿でしょう。
でも、然るべき人から見れば、拙くまどろっこしく映ることでしょう。
【きはまりて 悲しき時に あらざれば 真の信は おこらざりけり】
その程度、段階の人に鉄槌を食らわしても、期待する程の反応はないでしょう。
我々が思う彼らの幸せは、彼らにとっては当たり前のことなのですから。
罰とも罪とも因果とも思えないことでしよう。
だからといって、強制的に苦境をもたらすのにも無理があります。
自然の摂理に基づいた現実でなければ、心の極まりは生まれようがありません。
人は心のどこかで思っているはずです……
「今日、こうして在るのは、己の力だ」……と。
時には母のない子のように
だまって海を見つめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない
時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない
【寺山修司】
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僕は母のない子になったから……
それから先は言えない
【怒る】 【叱る】
感情的に 理性的に
自分のために 相手のために
過去に焦点をあて 未来を見据えて
怒りと勢いで 愛と勇気で
自分の言いたいように 相手に伝わるように
感情にまかせて 試行錯誤しながら
相手を批判するように 相手を認めながら
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この問題は、身近な環境の中で切実さを増している。
スポーツの世界でも表面化しているように、今やあらゆる分野での難題と言える。
情熱とか必死さとかいう言葉で……己の言動を正当化しようとする。
もちろん、100か0かという思いではないが、強烈過ぎる信念に基づくソレは、
如何ともし難い。世の各分野の指導者様方、もうちょっとフレキシブルになって下さい。
対象者側に対して、妥協とか歩み寄りを求めているのではなくて、その対峙方法を
お考え下さいと言っているのであって、単純な一方通行ではダメですよと言っている
のです。それを迎合だとか、随対意だとか言ってしまえば、その時点で指導者失格です。

🎶Let's take it easy.
気楽に行こうぜ!
悩むことなんてないさ
気楽に行こう
川向こうの もうひとりの自分が
そう歌いながら 手を振っている
言われてみれば 知らぬ間に
俯き歩き彷徨っていたな
フランスの若者のようなパワーは
日本には無いな
それが良いことか 悪いことか
僕には判別しかねる
諦観なのか 達観なのか それとも 未熟なのか