父方にしろ母方にしろ、私がその最末孫であることを意識した時、双方の
不遇、災難、困窮問題、特殊な病巣に行き当たり、その解明と解決に
心を傾注しなければならぬとの結論に達したのでした。
それぞれの代に現出した具体的な事例と、父から譲り受けた家系図を紐解いた時、
不審と言えるある一霊は、系を成す線からぽつんと外れて記されていたのでした。
まるでその一員ではないかのように。役所に届け出されていないのか、あるいは闇から闇へと葬り去られた一霊なのか?明治時代のしかも離島の小さな部落の出来事など知る由もない。
しかし、小説や映画の「八つ墓村」にも似た数々の同現象が我が家系に代々起こり続けたことは否定出来ない事実として残っている。おそらくは誰ひとり疑念を抱かずに、これまた誰ひとりその解明に着手しなかったことが問題なのだ。
過去のことは覆せはしない。しかし、これから先に起こることを予防することは可能だ。
私にできることは、その可哀想な霊の「鎮魂」ということになる。それにしてもなぜこれまで誰ひとりとして、その解決策を講じて来なかったのか?最末孫の私が、諸々の悪現象の食い止め役にならなくてはいけないという結論である。

あれだけお父さんを憎んだということは
それだけ、あなたはお父さんが好きだったのでしょう
あれだけお父さんに反発したということは
それだけ、あなたはお父さんに認めて欲しかったのでしょう
授業の合間に教室を抜け出して、グランドを真っ二つに歩いて
校門を出て行くあなたを、僕は教室の窓辺で羨ましく見つめていた
何が原因だったのかを知ったのは
ずいぶんと時を経てからのことでした
僕の異変にも、あなたは感付いていたはずです
同類でしたからね
二人にしか分かりあえない異変の代物
反比例 捻れの位置
授業の文字列が抽象用語に性格を変える
環境は恐ろしく人間の心に入り込み蝕む
あなたも一緒のはずだ
ひとりで二人の自分を生きている

時は人を変える。
その昔抱いていた彼(彼女)のイメージが、真逆になっていることがある。
それは、どっちが正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、
そうなった必然性を認めるしかない。
価値観の押し付けは問題が残る。
人を変える要素としては、環境や取り巻きや経験やら……色々考えられるが、
要は、その人個人の価値観の問題だと思う。
判断基準と言ってもいい。
この誤差は、互いの関係性の崩壊に繋がりかねない。
思想性の捻れは修復し難い。交わる点が無いから……。
いわゆる(捻れの位置関係)ということになる。
結局、人は感性の共有と交わりを希求して彷徨い歩き続ける。