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正邪の闘い

僕は自身をフレキシブルな人間であるというのは自認しているが、

それを決して優柔不断な人間であると宣言しているわけではない。

内心「このガキヤ〜!」と叫びたくなることもあるよ。

それをグッと堪えていることを逆手にとって、巻き返しの論を張ってくる奴を

僕は赦せないね!真っ向勝負を挑みたい。

今まさに、政治の世界で似たようなことが繰り広げられているわけだが

○○に付ける薬はない!状態であって、敢て僕は敵前逃亡を演じて見せるわけだ。

言葉を選ばず言わせてもらえば・・・

「黙って聞いて居れば、好き勝手言いやがって!」となる。

さあ、大人げないのはどっちだい?

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無声音

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常識

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時には・・・

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過去・現在・未来

過去を生きるんじゃなくて


今を生きてほしい


そしたら


また未来が描けるかもしれない


               
           (GOOD LUCK)

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手遅れ

 政治家と芸能人を同レベルで論じるのは乱暴すぎるかも知れないけれど、敢て言わせてもらえば、政治屋さんも芸能人的仕打ちを受けて当然なんじゃないかな!?いわゆるスキャンダルで追放されたり抹殺されたりする人たちは大勢いるわけじゃないか。それに比べて、政治家は自分が逮捕さえされなければ、それを傘に堂々と大手を振って歩いてござる。
 そこへもってきて、たとえ一票差でも比例復活でも、当選さえしてしまえば、禊完了とばかりに表舞台に復帰してくる。本人も本人なら選ぶ人も選ぶ人だ。同じ価値観の持ち主と言うわけだろう。徹底した利益代表選びということか。
 真っ白の善人だけではこの世は成り立たない。真っ黒も超灰色も何もかもあってのこの世の中だ。その鬩ぎあいで世の中は成り立っている。当局のお世話にならなければ、何をやってもいいじゃないか!的な人間もそこら中にうようよと居る。
 ○○につける薬はない〜と言うけれど、これが世の中だ。これが浮世だ。そうした悪人どもの構成比率が高ければ高いほど、この世は荒れ放題ということになる。世紀末や末法と言った警鐘的言葉も、もはや死語になってしまった。霊的に言って所謂「悪人」のみ生まれ来るこの時代に、希少的存在の人間がどう対処しどう活動しどう拡大してゆくのか?行き着くところまで行かなければ、本当の恐ろしさは分からない。そしてまた、それに気づいた時にはもはや手遅れと言うわけだ。


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ミクロの闘い

 今流行りの言葉で言えば、僕は信仰二世であったわけだが、その宗教から離れてもう半世紀以上が経過した。時の流れは速い。
 既成、新興を含めて、世の中には数えきれないほどの宗教が存在している。信仰の自由という観点から言えば、僕がとやかく言える立場ではないが、否定部分はさておいて、肯定部分を書き記しておこうと思う。

 ひとつは「薬毒論」漢方は対象外として、いわゆる西洋医学における薬だ。熱が出れば解熱剤、痛みがあれば鎮痛剤、こうした対象療法的考えが、受け入れられない。熱や痛みは、体内での正邪の闘いの現れである。昔、ミクロの決死隊という映画があったじゃないか。まさしく善玉が悪玉菌と闘っているのである。その闘いの火花が熱であり、咳であり、痰である。

 もうひとつは、自然治癒能力。動物たちが、病に侵されたとき、ひたすら横たわってその快復の時を待つ。あれだ!少々時間は要するが、刹那的に、薬や注射で抑えこむよりは、はるかに合理的だ。一時的に抑えこまれただけの病原菌は、虎視眈々と次のチャンスを狙っている。

 時間に追われる現代人の隙と言えばそれまでだが、数倍の時間は労しても、根本的に悪玉菌を断ち切ることの方が、はるかに近道というわけだ。
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背景の記憶(313)

♪青い青い月の下で
きみに告げた愛の言葉
好きと言われ
好きと言った
あれは夢か遠い夢か


この老いた体でもなお、心は青春を彷徨っている。この風体、風貌で、貴女に逢わせる顔などないはずなのに。えっ?貴女も同感!って。想い出は、心の奥底に大切にしまっておくべきもの。そして時々、開き見るべきもの。

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魂の抱擁

まさしく、「捨てる神あれば、拾う神あり」で、大袈裟な意味ではなくて、万事休す!の瞬間に、救世の主は現れる。そう言う人を称して「変化人(へんげにん)」と呼ぶと教えられた記憶がある。怠慢や悪事でもしない限り、正直、努力の人を、天は見捨てないというわけだ。

絶妙のタイミングで、これまた絶妙の人から連絡が入る。
これは本当に、天が遣わしめた人と確信できる。
烏滸がましくも、「天」という言葉を使ってしまったが、これは言葉を置き換えれば、亡き父であり亡き母であるに違いない。最も遠くて最も近い人、それが母。人生の大きな分岐点に必ず登場して、僕を正道に導いてくれた母。

僕がいずれ逝った時、魂の抱擁を交わすことができるだろうか?


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背景の記憶(312)

 山陰の松江から京都に脱出?してきたのが二十歳の時だった。もちろん組織の追

っ手はいたのだが、僕如き下っ端人間は、それほどの執拗な追跡は無かった。叔母

の家での生活が落ち着いた頃、僕はあるコンサートに出かけた。西岡たかしと五つ

の赤い風船。

リーダーの軽妙な喋りも楽しかったが、僕は紅一点の<藤原秀子>の歌声に魅了さ

れた。なんとも奥深いと言うか、哀愁が漂う歌声と言うか・・・。感動した。

 ♪遠い世界に旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を歩いてみようか
  太陽の光で虹を作った
  お空の風をもらって帰って
  暗い霧を吹き飛ばしたい

僕より二つ年上の彼女も10年前に亡くなっている。

あれからもう半世紀以上、時が経過している。不思議なもので、つい口ずさむ

歌がこれだったりする。

様々な自己紹介欄に書いている通り、

「人生はいつも青春 いつも心のさすらい」

傍から老人視される男の心の片隅で、青春の名残の灯が

チロチロと燃えている。


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あの頃の日記帳になんとも稚拙な詩がある。
♪あの雲の向こう
 あるという泉
 忘れ得ぬひとに
 巡り合いたい
 どうぞ忘れないでと
 あなたは言った
 忘れるもんか
 君だけなのに
 あああ、僕だけの君なのに

 ※この詩には稚拙な曲が付いている。
  後に彼女に聞かせたら「西郷輝彦の唄に似てる」と言われた。
  たしかに・・・。これまた模作だけのことはある。

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