まさしく、「捨てる神あれば、拾う神あり」で、大袈裟な意味ではなくて、万事休す!の瞬間に、救世の主は現れる。そう言う人を称して「変化人(へんげにん)」と呼ぶと教えられた記憶がある。怠慢や悪事でもしない限り、正直、努力の人を、天は見捨てないというわけだ。
絶妙のタイミングで、これまた絶妙の人から連絡が入る。
これは本当に、天が遣わしめた人と確信できる。
烏滸がましくも、「天」という言葉を使ってしまったが、これは言葉を置き換えれば、亡き父であり亡き母であるに違いない。最も遠くて最も近い人、それが母。人生の大きな分岐点に必ず登場して、僕を正道に導いてくれた母。
僕がいずれ逝った時、魂の抱擁を交わすことができるだろうか?
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