叔母の意見もさることながら、僕自身の考えもあって、悦ちゃんとは付き合わないことに決めた。いつも優柔不断の僕にしては珍しく、丁寧に説明してその旨を伝えた。彼女の目に光るものがあったのは言うまでもない。心を鬼にして・・・とでも言うことか。
わずか半年しかない受験準備は焦りを覚えた。さすがに二年間のブランクは大きい。予備校へでも通っていればまだしも、まったく勉強に関しては空白であったわけだから。
試験当日、僕は愕然とさせられた。最終の論文形式の問題の時だ。設問に対するまともな考えや言葉が出てこないのだ。浮かんでくることは、宗教的教義に裏付けされた言葉たち。自分の中では至極真面目なのだが、世間的に言えば全くとんちんかんな文章が書きこまれてゆく。マインドコントロールとはこのことか!と我ながら愕然とした。
予想通り、結果は不合格。父の願いだった〜教師の後継も夢のまた夢となってしまった。中学、高校時代のあの好成績は何だったのか?勉強のための勉強だったのか?挫折と言うより、自身で克服すべき課題への自意識がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
時を同じくして、叔母の伴侶が倒れた。脳梗塞だった。叔母はお茶とお花の先生をしていたが、それだけでは家計はまかなえず、当然ながら叔父の仕事の収入が大半を占めていた。仕入れ先の社長が「あきお君にその気があれば、借金は棚上げにして事業を継続できるようにしてもいいよ」と言ってきたが、正直、その気にはなれなかった。叔母は期待していたようだったが・・・。「お花の生徒の○○さんはどう?」などと言われた。
僕自身もお花を習っていたので、叔母の言う彼女には好感を抱いていた。しかし、いわば高嶺の花的存在であって、不釣り合いも甚だしかった。ここでまた僕は違った意味で非情になって、外で働くことにした。もちろん正式な就職ではなく、アルバイトでお金を稼ぎ、夜は英会話学校に通う計画を立てた。それまで漠然と抱いていたアメリカ行きが現実化してきたのだった。
叔母は所有していた一軒の家を売り、何とか食いつなげる状況にはなった。僕はアルバイト探しに走り回った。情報誌から百貨店の裏方の仕事を見つけた。店内の商品の運送は遠慮して、従業員や荷物専用の、手動式エレベーターのオペレーターを志願した。外国映画によく出てくるあれだ。週給制で土曜日にはお金が貰えた。
手動式エレベーターは3台あって、高速、中速、低速だった。高速は慣れるまでが大変だった。例えば五階に止めようと思えば四階を過ぎた微妙なタイミングでハンドルをオフにしなければきちんと床レベルに合わせることができなかった。失敗してその階に止めらないこともしばしばだった。
30分で交代だった。最上階の屋根裏にある機械室が休憩場所だった。ギーガタン、ギーガタン、そんな音の中で眠る者もいれば読書に耽る者もいた。現役大学生、浪人生や所謂ぷー太郎と様々な連中の集まりだった。
百貨店は一つの小社会だと実感した。地下売り場から屋上まで、まさに世の中の縮図があった。そしてそれぞれの売り場によって人間性を垣間見ることもできた。従業員食堂へ行く各売り場の女性たちにはその感を強くした。一回の化粧品売り場の香水ぷんぷんの彼女たちにはよくからかわれた。二階の着物売り場の彼女たちは清楚そのものだった。僕が一番安心できたの地下の食料品売り場の彼女たちだった。気さくに話しかけてきて明るさ一杯だった。
運転にも慣れてきた頃、その地下売り場の一人の女性と仲良くなった。単純な労働の中で、彼女と会うことが喜びとなって行った。交代時間のせいで会えない時は寂しく思うほど。