坂道を歩きながら、両側に並ぶ住宅街のガレージにある車たちのメーカーや車名を当ててみる。
昔は、どの車にも個性があって、すぐに車名をあてることができたものだ。
まだ小学校に上がる前の甥っ子なんかは、対向車の名前を即座に当て続けて僕たち大人をびっくりさせたものだ。
今は、どの車を似たりよったりで、近づいてロゴを確認しないと当てることができない。どれもみな丸みを帯びた形状になってきているようだ。
時々、車好きの息子が、特異な車を見つけると「アレ何?」と聞く時がある。そのほとんどを僕は答えることができる。パブリカ、カローラ、コロナ、クラウン、スカイライン、セドリック、ベレット、117クーペ、アルシオーネ、キャロル、プレジデント、デボネア、ミラージュ、コスモ、シビック、アコード、・・・。
人間も一緒かな・・・。個性豊かな人物が少なくなってきたように思う。
私なんか、この世にいてもたいしたスペースはとっていない、そういうふうにいつでも思っていた。人間はいつ消えても、みんなやがてそれに慣れていく。それは本当だ。
でも、私のいなくなった光景を、その中で暮らしていく愛する人々を想像すると、どうしても涙が出た。
私の形をくりぬいただけの世の中なのに、どうしてだかうんと淋しく見える、たとえ短い間でも、やがて登場人物はいずれにしても時の彼方へみんな消え去ってしまうとしても、そのスペースがとても、大事なものみたいに輝いて見える。
まるで木々や太陽の光や道で会う猫みたいに、いとおしく見える。
そのことに私は愕然として、何回でも空を見上げた。体があって、ここにいて、空を見ている私。私のいる空間。
遠くに光る夕焼けみたいにきれいな、私の、一回しかないこの体に、宿っている命のことを。
「おかあさーん!」 よしもとばなな