アルバイトである配達の仕事を終えて、僕は車を車庫入れした。その車庫の横には、単独業務の作業場があって、丁度業務終了のチャイムが流れて、仕切りのドアが開かれた。そこの業務を一人でこなしていた女性が、後で束ねていた髪を解いた。ふわりと髪が流れるように肩に落ちた。まるで扇子を逆さにしたような美しい光景だった。
僕の存在に気付いた彼女が振り向いた。思わず軽く会釈をした。仕事中の彼女とは打って変わってちょっと大人びた女性を感じた。「お疲れさま!」かけられた言葉に、僕は軽く会釈をした。
バイトの身の僕は、社員さんたちとはそれほど深い関係性はなくて、軽く挨拶を交わす程度だったのだが、なぜかしら彼女には特殊な感情が湧き上がるのを覚えた。
大失恋の後遺症?で、数年間、無意識のうちに異性との距離を置いていた僕だったが、何故かこの時は、その壁が取り払われたように感じた。・・・とは言え、世間的にはまったくのプー太郎、こちらからどうこう言う資格などないと、内心諦めが僕の心を支配し続けていた。
あの雨の日の傘の事件?以来、何となくその距離は縮められて行って、僕たちは帰り道の半時間、喫茶店で話せる関係に成長?して行った。
あの頃、何を話したのか思い出せないが、彼女の前では自分を曝け出せる悦びを見出す僕が居た。ただ一緒に居るだけでイイ!そんな感情は何年ぶりだっただろうか?
進学校の同級生たちのほとんどが、それぞれの大学で勉学に勤しんでいるこの時期、自ら選んだ道とは言え、あまりにも波乱万丈なこの数年間に、僕の心はズタズタだった。もちろん、芯の部分の「自分」は辛うじて保ってはいたが、客観的に見れば、落ちこぼれのプー太郎そのものであったろう。
真っ暗闇とまでは言わないまでも、世の中の陰の部分を彷徨っていた僕に、突然の如く差し込んできた太陽の光だった。
アルバイトを終えてバス停までの帰り道、雨が降り始めていたが、それでも僕は殊更ゆっくりと歩いていた。そう殊更に。本通りとは違う細い道なので、通る人もまばらだ。バス停まであと数百メートルとなった時、後からコツコツコツと靴音が聞こえてきた。この靴音に僕は確信した。それはバイト先で気になっていたYさんなのだ。これまで何度か後ろから見かけたことがあった。僕はバスだけど、彼女は電車であることも知っていた。
ふり向きたい気持ちを抑えて歩いていると、不意に赤い傘が頭の上にかけられた。無言だったけど、まるで「濡れますよ」とでも言うように。横顔を見ると目が優しく笑っていた。「ありがとう」の気持で、僕はコクリと頭を下げた。背丈が違い過ぎるので、僕は傘を受け取って彼女に半分以上被るようにして歩いた。
言葉を発しようと思ったけど、それを遮るかのように駅に着いてしまった。バス停の屋根の下で、僕は傘をたたみ返そうとすると、彼女は初めて言葉を発した。「私、折り畳み傘があるから、それ使ってください。バス降りても歩くんでしょ?」有難い言葉だった。「じゃ、遠慮なく・・・」と言って、二人は別れた。
バスに乗って、場違いに思える赤い傘を手に持って、窓に映る僕の顔は少々にやけているように見えた。前の席に座っている女性が、傘と僕の顔を見て、ちょっと笑ったような気がした。でも、僕にはそれさえも嬉しく受け止めることができた。バスを降りたら、ルンルンルンなんてスキップでもしそうな気分だった。
♪泣かないって約束したのに
「さよなら」と言ったら
何にも言わずに横向いて
お下げが風に揺れていた
忘れないさ忘れないさ
好きなのさ
♪やがて夜が明ける
今は冷たい色
次のカーブ切れば
あの日 消えた夏
君は先を急ぎ
僕は ふり向き過ぎていた
知らずに別の道
いつからか離れていった
サヨナラを繰り返し
君は大人になる
ときめきと とまどいを
その胸にしのばせて
・・・・・・・・・
サヨナラを言えただけ
君は大人だったね
ときめきと・・・・
別離が男を強くする
強くならなきゃ
貴女に申し訳が立たない
もちろん
抜け殻のような日々もあったさ
でも、心の奥底で
愛の灯はチロチロと燃え続けていた
それだけが、貴女への償い
経験したことに変わりはないはずなのに、まさにその時の感覚と、半世紀を越えて思い出すのとでは、これほどまでの違いがあるのかと驚かされる。
当時十八歳の僕からすれば、二十三歳の彼女は、とんでもなくオトナに見えた。年取ったという意味ではなくて、ホントに大人感がいっぱいだったのだ。いま、間近に見るその年齢に達した姪っ子たちを見れば、比べものにならないくらい幼稚に見えて、どうかしたら彼女たちの親でさえ、その存在感からしたら、当時の彼女の方がオトナに思えるくらいだ。
そんな目で見れば、高校生や中学生である孫たちでさえ、同時期の僕と比べても、はるかに幼く見えるのは、どうしたものだろうか。
おそらくこれは僕の推測ではあるが、歳を重ねた自分の意識や視点が、若かりし頃の自分と同化して、当時の自分をオトナ化して観ているのに違いない。おそらくは、当時の僕も、ホントは彼等彼女らと一緒で、幼いこと極まりない存在であったに違いない。
やり直しのきかない人生。一度きりの人生。・・・が、しかし・・・思い出は新たなストーリーを展開して見せる。それが僕の願望なのか、はたまた彼女たちの悲願なのか。鮮やかなまでのストーリーを展開して見せる。
現実界には存在しない彼女たちでさえ、この現世に蘇り、僕に囁きかける。
これは僕自身の特性と言おうか、あまり分け隔てのない性分だと思う。意識的でもなく持って生まれたものなのか・・・。親の薫陶を受けたわけでもなく、兄姉も歳が離れていたし、強いて言えば父母からの遺伝的感性なのだろう。
小学生時代、不登校の同級生の家に迎えに行ったり、「あそこへは行ってはいけない」と噂のあった場所にも遊びに行って、ご飯をごちそうになって帰ったりもした。
中学生時代では、秀才君だけど病弱な彼の家に誘われるがままに遊びに行った。殊の外、お母さんに歓待された記憶がある。そしてこれまたなぜか、転校生とも一早く仲良しになった。こちらからのはたらきかけでもなく、なぜか彼らの方から僕に話しかけてきた。夏休みに、故郷の隠岐の島に一緒に帰ったこともある。親の転勤絡みなのか、超都会的な言葉や振舞への憧れも含まれていたのかもしれない。学級委員とかの肩書?とは無関係で、僕の内面的な(世間知らず)特性がそうさせたのかもしれない。
高校時代では、ちょっと不良っぽい女子が近づいてきた。たぶん彼女の親も教師だったと思うが、変に世間に拗ねたようなところがあって、シャツの胸元をちょっとだらしなく開けたような仕草が、悪っぽく見せてるようで妙に可愛かった。授業途中なのに教室を抜けだして、他のクラスの男子生徒と手を繋いで帰ったり・・。
その彼女と還暦の同窓会で再会した時、思わぬことを言われた。「サリン事件の時、ゼッタイ!ワタナベ君があの中にいると思ってた」と。よくよく考えれば、学生時代から、宗教絡みの世界に踏み込んでいるという噂は、同級生たちには知れ渡っていたようだった。
平凡の中の非凡。そんな自分を超客観視するもう一人の自分がいる。
、
久しくカラオケも行かない。もちろんコロナもあるし、昔のような仕事上での酒の付き合いも激減した。繁華街の料亭やスナックも大様変わりしていることだろう。
若いころは、なぜか太鼓持ち的な役回りが多くて、司会やら酒のつぎ役やらで、まったく酔ってられない会合が多かった。そのおかげでとでも言おうか、世の中の裏表も直に勉強させてもらったし、僕レベルの個人では行けないような場所にも連れて行ってもらった。
お付き合いの場(?)から解放されて、帰宅のタクシーを途中下車して、近場のスナックへ寄るのが常だった。そこでやっとふわ〜っと酔えるのだった。自分で言うのもなんだが、歌は上手かった。演歌もリズム歌謡もフォークも、洋楽も、何でも来いだった。
そんな中で思い出す一曲がある。それは「浪花恋しぐれ」岡千秋と都はるみの台詞の入ったデュエット曲だ。僕が秋夫、彼女が春子・・・なんともウソのような配役だ。同じネズミ年・・・彼女が一回り上だった。♪芸のためなら女も泣かす・・・そらワイはアホや・・・なり切ったふたりの唄は拍手喝采を浴びた。まさしく懐かしい心温まる想い出だ。