先 生
先生 ぼくは 先生の逆です
ゆうべに願い
あしたに空しく
崩れている自分です
それでいて
どう生きたい願いなのかと
考え考えしている自分です
先生 ぼくは 先生の逆です
ただ じっと待ってなどいられません
待っていれば向こうから歩いてござるなんて
決して決して
僕は追います 何にもなくても追います
追ったら負けだなんて
負けでも いいじゃないですか
先生 ぼくは 先生の逆です
一本の草花 一片の雲 一人一人の横顔一語一語・・・
ぼくにはそれそのものしか感じられません
あらゆる角度の目だなんて
ぼくにはそんな日がいつ来るのでしょう
先生 ぼくは 先生のようにできません
先生は日新にして日進と言われる
さらに月新にして月進でありたいと
先生には一歩退き それでいいのかそれでいいのかと
振り返る余裕がおありだ
ぼくには後ろが見えない
前方から吹き付ける風を
うつむいて こらえるのが精一杯
先生 ぼくは 先生の逆です
それでいい それでいいなんて
さりげなく さりげなくなんて
もっともっと欲しいんです
恋でもなんでも
自分のすべてを燃やしてぶつかるものが
先生 ぼくは なんでも先生の逆です
そこで先生はおっしゃりたいのでしょう
物にも事にも裏表二つの顔があるのだと
わかっているんです 先生のおっしゃることすべて
でもどうしても ああこれが人生なんだと
割り切れない 悟りきれないのです
それこそ本当の負け惜しみのような気がして
こうして何もかも反発しているのです
お許しください 先生

(50年前の手作り詩集)
中学一年生の国語の授業
永田先生はしなやかな(?)鞭を持っていた。
体罰は無かったと記憶しているが、黒板と言わず机と言わず・・・
ビシッ!ビシッ!とやられた。
まず最初にさせられたことは、国語辞典を左手で持ち、左手だけで
目的の語のページを瞬時に出すという特訓(?)だった。
両手を使っていたのでは、時間の無駄というわけだ。
もう一つは、助詞・助動詞の丸暗記
が の を に へ と から より で や ば と ても でも
けれども のに ので から して で ながら たり だり れる
られる せる させる
どちらも、今でもできちゃうんだから、この特訓はすごい。
父とは正反対の、眼光鋭いモーレツ先生だった。
生まれ故郷・隠岐の島の祖母から送ってもらった・・・お米と舐め味噌
味噌に飽きたら(勿体無い話だが)
醤油をかけて・・・
塩をまぶして・・・食べた
お米が無くなったら
一週間でも十日でも
水ばかり飲んでいた
氷屋さんのアイスキャンディーが欲しくて堪らなかった
でも・・・それを買う10円、20円が無かった
ほんとに〜お腹と背中がくっつくと思った
丸一日、いや二日でも・・・
畳の上で寝たままの時もあった
布団は無かった(冬でも)
・・・・・・・・・・・
「臥薪嘗胆」とは程遠い
遠い〜遠い昔の広島時代
暑い日の思い出

ボーイスカウトの訓育会でのこと
みんなを野外に集めて、目隠しの鬼ごっこゲームをやった。
鬼は目隠し、他のものは決められた円から外へは出られなかった。
捕まえた者の名前を当てるというゲームだったのだが・・・
何人目かの時に、僕が捕まった。
抵抗したつもりはなかったが、僕は高く持ち上げられ、そして落とされた。
草むらではあったが地面は固く、僕は運悪く後頭部をしこたま打ち付けた。
そこで意識を失った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三日三晩、僕は昏睡状態だったらしい。
幸い意識は回復したが、その後かなりの年数〜偏頭痛に悩まされた。
ちょっと運動をすると、後頭部に重い石がひっついているようで
二十歳を過ぎてもずいぶん悩まされたものだ。

あのころ・・・
あの時、トンネルの出口だと思った
丸く鈍い光は幻だった
砂漠の中の蜃気楼のようなものか
いくつもの曲がり角や別れ道
ほとんど勘みたいなもので歩いてきたけど
これを選択ミスと言われるのかな
でも・・・
どんなに滅入ったって立ち直れるさ
立ち直ってみせるさ
たとえ絶望の淵からでも
デパートの地下二階のエレベーターの中で
庫内灯を消してみたあの時
冷気と暗闇が体を包み
地獄を垣間見たような気になった
呼び出しのランプに救われて
僕はその階へ上がって行った

もう半世紀を超えた今でも
あの詩が空で蘇る・・・
デパートの最上階の機械室
油の臭いとエレベーターのワイヤーを巻き上げる音だけの
あの薄暗い機械室で
きみはいつも呪文のように繰り返していた
最高の塔の歌
あらゆるものに縛られた
哀れ空しい青春よ。
気むずかしさが原因で
僕は一生をふいにした。
心と心が熱し合う
時世はついに来ぬものか!
僕は自分に告げました、忘れよう
そして逢わずにいるとしよう
無上の歓喜の予約なぞ
あらずもがなよ、なくもがな。
ひたすらに行います世捨てびと
その精進を忘れまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ランボー)

彼女のきみへの眼差しは違っていた
明らかにね
僕には向けたことのないものだったよ
だから・・・
わかるだろう
僕の・・・負けだ
勘ぐりすぎだよ
そんなことあるわけない
事実、きみたち二人は・・・
いや、もう止めにしよう
今さら〜の話だよ
♪遠い世界に 旅に出ようか
・・・・・・・・・・・・・
もし旅先で彼女に逢えたなら
優しく微笑みあえるかな

人生最大の屈辱と言えば、もう三十数年前の話だが・・・
生後間もなく娘が入院した時、義母に「うちの家系にそんなのはおらん!」と言い
放たれたことだろう。
車のハンドルを握りながら、涙で前が見えなくなってしまった・・・。

僕にはまったく実感を伴わないことだらけだった。何一つ・・・言葉としても体の温もりとしても、母を感じる材料は、僕の中には残されていなかった。あるのは兄の語った二人のある場面や、父の書き残した言葉から想像することだけだ。
「よちよち歩きのおまえを、坂の上で待ち構えて、両手を大きく開いて迎え入れる母の姿は、ほかの兄姉には見せない、何とも言えない愛情が溢れていたよ。羨ましいくらいだったさ・・・」
「三つ子の魂なんとやらが本当なら、せめてこの瞬間をこの子の脳裏に焼き付けておこう・・・」
それらの場面は、映画のシナリオのように鮮やかに蘇ってはくるけど、そこには悲しいかな本物の温もりや感慨が沸いてはこない。小説の中の主人公にわが身を置き換えるようにしか・・・。

『「好きな人」と言われるより「大切な人」と言われたい。』
そんなことを言うひとだった。飛び抜けて次元が違うというわけでもないが、
薄っぺらな恋愛感情とは違った存在ということだろうと受け止めた。
でも、そのレベルに行くまでの過程として、「好きな人」〜もあるんじゃないの?
と僕は心の中で思ったものだ。
あれからう〜んと時を経て、僕は同じ言葉に出会った。
思い返せば、その君はまだあどけなさを残した中学生だったんだものね。
親や知人の敷いたレールを歩んできた君が味わった挫折と失望。
環境として、君とは対極にいた僕は、そんな君の未来を想像すらできなかった。
