何かの記事で読んだのだが、
北欧では、いわゆる「寝たきり老人」はほとんどいないらしい。
何故か?
答えは明白、「寝たきり」になる前に死んでしまう。
残酷なように聞こえるが、どっちが本人のためか?と問われれば、
うーんと考えこまざるを得ない。
日本人の美徳と言えるかどうかは疑問だが、まだ心臓は動いているのだから…
の理由で延命処置を取ることが、果たして本人のためかどうか?という話。
僕の祖母の時にも、そんな場面はあった。その時代はそれが許されたのだろう。
病院側と親族側との「阿吽の呼吸」で、生命維持装置が外されたのだった。
果たしてそれが…という話。世話をするのが面倒だとか煩わしいとかの話ではなく、
当の本人のためを思えば…の話。
安楽死とはまた違ったレベルでの話。
世の中、誰も彼もがすべて順調であるわけではない。
むしろ、事の大小はあれ、それぞれが色んな悩み事を抱えて生きている。
それが人生というものなんだ。
要は、そこからの歩み方、対処の仕方で、方向は大きく変わっていく。
何か深刻なプライベートの問題を抱えていても、
一々人様に打ち明けられるわけでもない。
そこで、思い遣りとか憐憫の情とか援助とか生まれてくるわけだ。
僕のモットーは【何事もさりげなく】だが、独りでは抱え込めない事柄も時にはある。
その時に、どんな方法で吐き出すか、爆発を阻止するか、それが問題だ。
自分一人で抱え込みすぎると、間違いなく精神を病む、心が壊れる。
その後でどうこうしたって、手遅れのことが多い。タイミングがキーポイントだ。
家族だけを思えば、世間から見放される
自国民だけを思えば、世界から見放される
だから…と言って、家族を自国民を第二第三にすれば、国民に見放される
あのトランプだって、アメリカファーストと言っての傍若無人じゃないか
暴論と言われるかも知れないか、あの鎖国時代、日本はそれなりに平和だったじゃないか
発展、発展が、国民の幸せなんだろうか?
少々貧しくても、一日一日をつつがなく暮らせるのが幸せなんじゃなかろうか?
山中のポツンと一軒家ではないが、あれも幸せのひとつの典型的事例ではなかろうか?
世界の中の存在を意識するあまり、肝心の自国民の大多数が不幸せだったら、
本末転倒というものだ
とは言いながら、逆もまた真なりで、どちらを取るか?
そういう選挙なんだろう