そして、船を押し包み有無をいわせず周囲に雷光を走らせる雷雲。辺りに立ちこ
める雷の気配を感じて逆立つ髪の毛と、今は何かの予感に狂ってしまい、いずこを
も指さず一人くるくると回りつづけるコンパス。
そこでは人間は誰だろうと何もかも捨てて、素にならなければならず、ならざる
を得ない。そうなることで誰しもが、人間なんぞこんなものでしかないのだと気づ
き悟らされる。それは人間の原点への回帰ともいえる。一切の感情を伴わぬ、生き
ていながら死を、予感じゃなしにまさに知覚している瞬間だ。いわば不条理の条理
の体得だな。俺は何ほどのものではありはしないという、ある意味じゃ強烈ともい
える放心の中での存在の現実感覚というやつだ。
石原慎太郎 「男の粋な生き方」〜自然との交わり〜
きみは悪くない。
精一杯正直に生きてきたさ。
親の意向に従ったことも、きみの環境なら仕方のないことさ。
もし、時の悪戯がなかったなら、まったく変わったかもしれないね。
人の出会いというものは、悲喜劇の連続だ。
良き夫婦を、良き妻を演じ続けるのはさぞ辛かっただろう。
親を悲しませたくなかっただろうからね。
もう少しの辛抱さ。
最低限の親としての責任を果たし終えるからね。
遅れすぎた再会が、伴侶への幻滅を加速させる。
それは理解できるような気がするよ。
無頓着、無知、無慈悲・・・
「無」と付くものの全てを持ったような人だね。
最悪なのは、そのことに本人が気づいていないことだね。
二重に生きることを習得したことが、良いのか悪いのか?
僕には何とも言えないよ。
割り切りと言ってしまえばそうなんだろうけど・・・。
世の中には、同じような境遇の人が多いんだろうな。
諦め、最低限の義務、自分だけの光・・・
僕は、そっと見守るだけだ。
そのことを、ずっと前のあの時に託されたように思う。
そう確信している。
「初めから失われていて、生涯、決して手に入れることのできない父性」・・・。
二重生活(小池真理子)
僕の場合は、【母性】なのだが・・・
加えて、【家庭的温かさ】とでも言おうか、これらの欠落が、僕という人間を形成
するにあたって、大きく影を落としているのは明らかだ。
一つの家庭を築き、子供たちや孫たちに囲まれた生活であっても、その影は消えて
しまうほど薄っぺらなものではない。
家の中のざわめきの中で、ポツンとしている自分がいる。孫たちのはしゃぎ声や
テレビアニメの騒音さえ、耳に入ってこないくらいの深淵の中で、僕は膝を抱えて
顔を埋め、かすかな母のイメージを確かなものにしようと彷徨い歩く。