・・・それは敗戦・占領以後、七十有余年にもわたって、自分の国を自分で守ることすらせず、生命と価値を他国にあずけ、経済的繁栄に現を抜かしてきた戦後という時代であり、「自由」や「民主主義」という言葉の定義もなく、「平和国家」なる虚妄を信じようとしてきた欺瞞的な日本人に対する、根本的な批判(クリティーク)である。・・
(富岡幸一郎 追悼 西部邁さん)
「ラジカルな人で、『デモクラシーは危険だ』とよく言っていたが、そんなことを言えるのは日本に彼しかいなかった。『対米従属はインチキだ』と、安全保障政策や国家のあり方について危機意識を常に持っており、貴重な存在だった。考え方は違うが、人間としては信頼していた。『死ぬ時は自殺する』と話していたが、自分で自分にけりをつけたかったのではないか。大変残念だ」
(田原総一朗)
「左翼」「右翼」と言った狭い見方ではなく、
人間を見よう。
日本人としての自分を見つめよう。
結局は、彼の言う「欺瞞的生き方」をしてきた自分を恥じる。