他者の理解とは、一つの考えを共有する、或いは、同じ気持ちになるということ
ではないだろう。むしろ苦しい問題が発生している将にその場所に共に居合わせ
て、そこから逃げないということではないのか?
果てしなく言葉を交わしながら、同じ気持ちになるどころか、逆に二人の差異が
様々の微細な点で際立ってくる。細部において自己との違いを思い知る。それが
他者を理解するということであろう。
差異を思い知らされつつ、それでも相手をもっと理解しようと、その場に居続け
ること、そこに初めて真実のコミュニケーションが生まれるのであろう。
「クラスメート」(ラガーマン・達哉)