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切札

『 幼稚な人は常に量を問題とする。

       子供に菓子を出すと大きな方を取る。 』



『誰にも非難されぬように、

        行動することは出来ない。 』



『 人生の最後の札には、

       何糞! と書いてある。 』




『 最も関心の深いことは、

       あれと言っただけで解る。 』



『 貧こそは、独立の砦。 』


                        毎田 周一

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花のように

時を知って
鮮やかに咲いて
潔く散ってゆくきみたちが羨ましいよ

って言えば
きみたちは怒るだろうな
「それは人間側の主観だろう」ってね

そうかもしれないね
せっかく人間に生まれて
その与えられた役分を果たし切っていないんだものね28.3.22-1.jpg

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背景の記憶(216)

馬が一頭いた。
牛も二頭いた。
鶏は記憶がない・・・生まれ故郷〜隠岐の島の家のことだ。

小さな手漕ぎ舟があった。
網や銛や釣り道具もたくさんあった。
晩のおかずの魚釣りや貝採りは子供たちの役目だった。
今や高級品のアワビやサザエもすぐ近くの岩場でふんだんに採れた。

家の横の畑では、野菜が栽培されていた。
ちょっと裏山へ足を延ばせば、柿・みかん・あけび・栗などの木があった。

半農半漁の生活・・・給自足的生き方とは、こういうものだと今つくづく思う。

冬の夜は、ランプの下で干したスルメイカの背中を伸ばして束にするのが
子供たちの役目だった。
囲炉裏は暖かく、団らんの場としては最高だと今でも思う。

風呂焚きも子供の役だった。
山水の溜め場から水を運び、まき割もした。
新聞紙から始まり、松葉から木の枝へと火を熾していった。
五右衛門風呂が懐かしい。
底板を踏む技術が思い浮かぶ。

母屋から離れたところに便所があった。
夜遅くに行くときは、本当に怖い思いをしたものだ。
懐中電灯が超貴重品だった。

今も忘れられない光景がある。
高台にあった家から入り江がきっちりと見下ろせた。
ボォ〜という汽笛を響かせて定期船が入ってくるのが見えた。
絵葉書に最適と思われるような素晴らしいアングルだった。

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