<< 2024/12 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

背景の記憶(157)

    満天の星


離れ小島の海辺に寝転がって

満天の星空を見上げた

あの夜を覚えているよね


無数の星たちは

手が届くようにそこにあって

降ってくるような

引き込まれるような

あの不思議な感覚


流れ星は

幾筋もの鮮やかな直線を描いて

水平線の向こうに消え

星雲も星屑と呼ぶには

もったいないくらいに

宝石のようにそれぞれが輝いて


本土の雑踏や喧騒を

吐き気を覚えるくらいに

遠ざけたくて

このまま時間余止まれと叫ぶ言葉を

大きなため息に変えて

僕は目を閉じた


すぐとなりのきみは

何を考えていたのだろう

何を夢見ていたのだろう

五つの年齢差は

母と子ほどの重さと温もりで

僕のすべてを包み込んだ

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(156)

  旅立ち


きみが手を振る

脚を大きく踏ん張って

両腕を頭の上で激しく交差させる


大勢の見送りの人たちの群れから離れて

きみが手を振る

デッキの上の僕は

きみの大きな動きの中に心を読み取る


軽いなさよならではない

複雑なさよならでもない

逆だな

こんな場面で一つになれたなんて


一筋の船の航跡が僕の想いを乗せて

遠ざかってゆく

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(155)

六年生の夏休み

これはなかなかの大役でした。放送部だったからかな?26.7.22-3.jpg26.7.212-2.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(154)

二月に百歳で亡くなった父が、以前送ってくれた物のなかに、僕が小学校五年生の時の日記帳があった。教師だった父らしく、それぞれにコメントが付されている。

三月二十八日 土曜 天気 晴 起床 七時0分 就床 八時二十分

あおあおとしたかいせいの空に  

一きのジェットキが 白い線で

空を二つにわった

ツツート、ジェットキが

とんでいってしまった

空には、白いせん一本

ほかにはなにもない


こんな詩ばかりでなく その日にあったこと、思ったこと

したこともかくとよい。26.7.22-1.jpg

表紙裏には

「日記はよいことだ 続けることがむつかしい」

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(153)

「いつも遠くを見てる目をしてるね」

「どこかに何かを忘れてきたの?」

「未練?失恋?後悔?・・・」



全部かな

いろんなことがありすぎたよ

僕の年齢と短い時間を思えば・・・

そばに居てほしい人は

みんな僕から離れて行ったよ

結婚、病死、脱走、転向・・・

どちらが真面なのか

何が正義なのか

人道という名の仮面

26.7.10-1.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(152)

「ねぇ〜、胸が痛いってことある?」

呼び出されて宍道湖の防波堤に腰かけていたとき

突然放送部の後輩の彼女が聞いてきた。

「えっ?」

僕はどう答えていいのか戸惑った。

「う〜ん・・・経験はないけど、あるんじゃないかな」

「好きなひとでもできたんか?」

彼女はしばらく黙って俯いていたが

突然立ち上がり、くるっと反対を向いて

ひらりと地面に飛び降りた。

スカートを翻したその動きの中に

「あっ、もしかして・・・」と思ったとき

彼女はもうかなり前を歩き始めていた。

何とも言えない複雑な想いが、彼女の背中に漂っていた。

26.7.3-1.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(149)

君はお兄さんの強引さに屈した形だったけど

一番君のことを思っていたのは弟くんの方だったんだぜ

わかっていたかい?

僕はお姉さんの積極性に引っ張られた形だったけど

一番僕のことを思ってくれていたのは

妹の君だったんだね

僕は・・・気付かなかったよ

君が遠く東京にお嫁に行って

随分経ってから教えてくれた人がいたんだよ

世の中って・・・

そういうものなんだね

25.12.22-2.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(143)

雨が降ると思い出す
仲直りの日は
いつも雨の日曜日だった

後から思えば
小さな誤解や言葉の行き違いだったのだけど
その時は
この世の終わりのような深刻さだった

周りも心も
静けさに包まれた
雨の日曜日
わだかまりが洗い流され
本来の純心が蘇った
「ごめんなさい・・・」
それだけでまた
前を向いて歩きだした

それはいつも
雨音もない
静かな静かな雨の日だった
25.10.10-4.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(141)

僕自身、そんな感情を抱いたつもりはなかったのだが
「振り回された」「戸惑った」「対処不能」の場面が
あまりにも多かった。

季節の移ろいの周期なら、十分に対応できたかもしれない。
それが、「昨日の今日」とか「朝と夜」というような
心と言葉の変遷は、僕を混乱させ言葉を奪い去った。

僕の中では、「病」と結びつける要素は皆無だった。
むしろ、周りの声や評価にこそ不信を抱いていたくらいだ。
どんな症状であれ、ひたすら「聞く」ということに
僕は集中したし、僕の中で出された答えをさらに抽出して
これだという答えを言葉に託したつもりだった。

何度思ったことだろう。嘆いたことだろう。
言葉の虚しさを・・・言葉の無力を・・・
まるで自分が試されているような疑念が
湧いては消え、また湧き上がってきた日々。

「励ましては逆効果だ」という説も耳にした。
「ひたすら聞いてあげることだ」も実践した。
向き合えば向き合うほど・・・
<純>と<狂>が交錯した。
<陽>と<陰> <ハイ>と<ロー> <躁>と<鬱>
さっきの答えと全く逆のことを言葉にしている僕がいた。

僕は、そのたびに兄を思い出していた。
十分経験済みのはずだったが、十人十色百人百色が
明白な答えであり正解はどこにもなかった。

食い尽くされて、吸いつくされて
干からびた僕の残骸が
夏の終わりを告げる雨に晒されていた。



25.9.2-1.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

背景の記憶(140)

 僕が21〜23歳のころ、英会話教室へ通っていた時の先生がステファニィーという名のアメリカ人女性で、個人授業も受けるほどの関係だったことは、以前にもどこかで書いたと思う。
 彼女はSという日本姓があったので、ミセスというのは分かっていたのだが、その旦那が当時かなり有名な(アンダーグランド的世界ではあるが)ロックバンドのヴォーカリストだったということ知ったのは、随分と時を経て読んだ花村満月の小説の中に、その名が登場した時のことだった。(このこともどこかで書いた記憶がある)
 今日、そのバンドのギタリストの訃報を目にして、改めてweb上で検索してみた。そこで分かったことは、彼女(先生)は、僕が教室をやめた翌年くらいにアメリカへ帰国したということだ。
 まだずっと京都にいるのかな・・・というほのかな思いを抱き続けていたので、ちょっと落胆した自分だった。

 ローリングストーンズ、スバル360、ブロンズヘアー、小学校漢字ドリル、
様々なことが蘇った。おそらく当時の彼女の取り巻きは、僕とはまったく正反対に位置する環境だったに違いない。僕がそれらしき風体をしていたとしても、それはあくまでもカジリであり、真似事にすぎなかった。ドラッグに象徴されるような危険地帯(?)に、彼女は間違いなくいたはずだ。
 やや自惚れ的に言えば・・・まったく対極にいる僕という存在が、彼女には新鮮に映ったのではあるまいか?・・・と。25.8.15.jpg

posted by わたなべあきお | - | -

▲page top