満天の星
離れ小島の海辺に寝転がって
満天の星空を見上げた
あの夜を覚えているよね
無数の星たちは
手が届くようにそこにあって
降ってくるような
引き込まれるような
あの不思議な感覚
流れ星は
幾筋もの鮮やかな直線を描いて
水平線の向こうに消え
星雲も星屑と呼ぶには
もったいないくらいに
宝石のようにそれぞれが輝いて
本土の雑踏や喧騒を
吐き気を覚えるくらいに
遠ざけたくて
このまま時間余止まれと叫ぶ言葉を
大きなため息に変えて
僕は目を閉じた
すぐとなりのきみは
何を考えていたのだろう
何を夢見ていたのだろう
五つの年齢差は
母と子ほどの重さと温もりで
僕のすべてを包み込んだ
旅立ち
きみが手を振る
脚を大きく踏ん張って
両腕を頭の上で激しく交差させる
大勢の見送りの人たちの群れから離れて
きみが手を振る
デッキの上の僕は
きみの大きな動きの中に心を読み取る
軽いなさよならではない
複雑なさよならでもない
逆だな
こんな場面で一つになれたなんて
一筋の船の航跡が僕の想いを乗せて
遠ざかってゆく
二月に百歳で亡くなった父が、以前送ってくれた物のなかに、僕が小学校五年生の時の日記帳があった。教師だった父らしく、それぞれにコメントが付されている。
三月二十八日 土曜 天気 晴 起床 七時0分 就床 八時二十分
あおあおとしたかいせいの空に
一きのジェットキが 白い線で
空を二つにわった
ツツート、ジェットキが
とんでいってしまった
空には、白いせん一本
ほかにはなにもない
こんな詩ばかりでなく その日にあったこと、思ったこと
したこともかくとよい。
表紙裏には
「日記はよいことだ 続けることがむつかしい」
「いつも遠くを見てる目をしてるね」
「どこかに何かを忘れてきたの?」
「未練?失恋?後悔?・・・」
全部かな
いろんなことがありすぎたよ
僕の年齢と短い時間を思えば・・・
そばに居てほしい人は
みんな僕から離れて行ったよ
結婚、病死、脱走、転向・・・
どちらが真面なのか
何が正義なのか
人道という名の仮面
「ねぇ〜、胸が痛いってことある?」
呼び出されて宍道湖の防波堤に腰かけていたとき
突然放送部の後輩の彼女が聞いてきた。
「えっ?」
僕はどう答えていいのか戸惑った。
「う〜ん・・・経験はないけど、あるんじゃないかな」
「好きなひとでもできたんか?」
彼女はしばらく黙って俯いていたが
突然立ち上がり、くるっと反対を向いて
ひらりと地面に飛び降りた。
スカートを翻したその動きの中に
「あっ、もしかして・・・」と思ったとき
彼女はもうかなり前を歩き始めていた。
何とも言えない複雑な想いが、彼女の背中に漂っていた。
君はお兄さんの強引さに屈した形だったけど
一番君のことを思っていたのは弟くんの方だったんだぜ
わかっていたかい?
僕はお姉さんの積極性に引っ張られた形だったけど
一番僕のことを思ってくれていたのは
妹の君だったんだね
僕は・・・気付かなかったよ
君が遠く東京にお嫁に行って
随分経ってから教えてくれた人がいたんだよ
世の中って・・・
そういうものなんだね
雨が降ると思い出す
仲直りの日は
いつも雨の日曜日だった
後から思えば
小さな誤解や言葉の行き違いだったのだけど
その時は
この世の終わりのような深刻さだった
周りも心も
静けさに包まれた
雨の日曜日
わだかまりが洗い流され
本来の純心が蘇った
「ごめんなさい・・・」
それだけでまた
前を向いて歩きだした
それはいつも
雨音もない
静かな静かな雨の日だった
僕自身、そんな感情を抱いたつもりはなかったのだが
「振り回された」「戸惑った」「対処不能」の場面が
あまりにも多かった。
季節の移ろいの周期なら、十分に対応できたかもしれない。
それが、「昨日の今日」とか「朝と夜」というような
心と言葉の変遷は、僕を混乱させ言葉を奪い去った。
僕の中では、「病」と結びつける要素は皆無だった。
むしろ、周りの声や評価にこそ不信を抱いていたくらいだ。
どんな症状であれ、ひたすら「聞く」ということに
僕は集中したし、僕の中で出された答えをさらに抽出して
これだという答えを言葉に託したつもりだった。
何度思ったことだろう。嘆いたことだろう。
言葉の虚しさを・・・言葉の無力を・・・
まるで自分が試されているような疑念が
湧いては消え、また湧き上がってきた日々。
「励ましては逆効果だ」という説も耳にした。
「ひたすら聞いてあげることだ」も実践した。
向き合えば向き合うほど・・・
<純>と<狂>が交錯した。
<陽>と<陰> <ハイ>と<ロー> <躁>と<鬱>
さっきの答えと全く逆のことを言葉にしている僕がいた。
僕は、そのたびに兄を思い出していた。
十分経験済みのはずだったが、十人十色百人百色が
明白な答えであり正解はどこにもなかった。
食い尽くされて、吸いつくされて
干からびた僕の残骸が
夏の終わりを告げる雨に晒されていた。
僕が21〜23歳のころ、英会話教室へ通っていた時の先生がステファニィーという名のアメリカ人女性で、個人授業も受けるほどの関係だったことは、以前にもどこかで書いたと思う。
彼女はSという日本姓があったので、ミセスというのは分かっていたのだが、その旦那が当時かなり有名な(アンダーグランド的世界ではあるが)ロックバンドのヴォーカリストだったということ知ったのは、随分と時を経て読んだ花村満月の小説の中に、その名が登場した時のことだった。(このこともどこかで書いた記憶がある)
今日、そのバンドのギタリストの訃報を目にして、改めてweb上で検索してみた。そこで分かったことは、彼女(先生)は、僕が教室をやめた翌年くらいにアメリカへ帰国したということだ。
まだずっと京都にいるのかな・・・というほのかな思いを抱き続けていたので、ちょっと落胆した自分だった。
ローリングストーンズ、スバル360、ブロンズヘアー、小学校漢字ドリル、
様々なことが蘇った。おそらく当時の彼女の取り巻きは、僕とはまったく正反対に位置する環境だったに違いない。僕がそれらしき風体をしていたとしても、それはあくまでもカジリであり、真似事にすぎなかった。ドラッグに象徴されるような危険地帯(?)に、彼女は間違いなくいたはずだ。
やや自惚れ的に言えば・・・まったく対極にいる僕という存在が、彼女には新鮮に映ったのではあるまいか?・・・と。