「自画像」
彼は或る家の長男である。背も高いがずんぐりしているので相撲取りのように不格好な体つきだ。その上歩く時はまるで老人のようによちよちと、おまけにツンとすまして歩く。よちよちして歩くのは小学校の頃足を折ったせいだ。彼は友達に出会うと、必ずニヤリと何だか訳の分からない笑いをうかべる。おそらく自分ではあいきょうのいい顔をしているつもりだろう。
彼が小学校の頃足を折ったというのは、さんざんあばれたあげくの事で、彼の小学校時のあばれんぼうずは有名だった。教官室に呼びつけられた数えきれないくらいだが又成績の方も非常に良かった。でも彼の今の成績ときたらさっぱりだめだ。おそらくまだ昔の夢を見て、「自分も頭はいいのだから少しでもやればいくらでもよくなる」などと自慢にもならないことを考えて、一向に勉強しようとしない。まあそのうち後悔する時がくるだろう。
彼は人のいうことはなかなか通さない。一応は「ふんふん」と聞いているが、実は心の中では「フン」と冷笑している。そのくせ自分はろくな話らしい話も出来ないのだからいい気なものだ。
彼はまた、一面非常に気の弱いところがある。だから一人で買い物に行くことはめったにない。行ったとしても店に女の人がいるとなんだかはずかしいような気がして、いつまでももじもじしている。それに、同じ学級の女子や先生が向こうからやってくると、別段用のない横丁へはいって、通り過ぎると出てきてまたツンとすまして歩く。全く臆病なやつだ。これは彼自身十分認めているところだ。でも家にいるときは大変いばっているのだから妹や弟にもとかくきらわれる。
父はひとがよくて、というよりあきれるほどの無口で何をいってもめったに怒ったことがない。だから正に彼の天下である。外での弱さを家の中で強く出すいわゆる内弁慶だ。そのくせ父が一番こわいというから不思議だ。
まあ彼のいいところといったら人のいいこと、飯を炊くのがうまいこと、また彼には似合わぬ素晴らしい闘志をもっていることだ。でもこれはよほど自分が困らないと出てこない。まあこれ位のものだろうと彼自身は思っているらしい。
彼は海辺に育ったせいか非常に短気で、腹が立つとやたらにあらい言葉をあびせる。一寸気にくわんところがあるとその人を徹底的に嫌う。だから反感をかうことが多い。でも反面涙もろいのでそういう人にやつあたりした後でいつも淋しい気持ちになるのが常だ。
彼は人が何か聞くとそれに対して素直に答えることがない。いつも人を皮肉ったような答え方をする。どうもこれは慢性のものrたしい。
彼は退屈するとラジオでまんざいや落語を聞いて一人でケラケラ笑っている。これを妹や弟が見て「気が狂っておらせんか?」などとかまうのでたちまち彼はふんがいして「何ッ」と大きな声でどなる。これも内弁慶のあらわれだ。そんあものを聞いている時間があったら宿題の一つでもしたらよさそうなものだのにめったに宿題などやったことがない。大人になっても大した人物にはなるまい。あのカビの生えたような頭でいったい彼はいつも何を考えているのであろうか。彼はまったくとりとめのない実に奇怪な人物である。彼は今年十六才と三カ月の青年のような少年である。終わり。
兄・喜久 作