君はコスモスが好きだと言っていた
だから、この季節になると、僕は行く先々で
無意識のうちにコスモスを探す習性が身に付いてしまっていた
もうあれから随分と時が過ぎてしまっているというのに
郊外にある建設現場に着いた時、隣が一面のコスモス畑だった
僕は躊躇なくスマホのカメラに収めていた
花言葉は色によってちがうらしい。調べてみれば
白〜優美・美麗 赤〜乙女の愛情 ピンク〜乙女の純潔 etc.
どれも彼女にピッタリの花ことばだ
短いメッセージを添えてメールした
年に二、三回のことだ
誕生日とグループ仲間の音信とくらい
即刻で返信が来た
花言葉通り、乙女のような絵文字が添えられていた
変わらないんだな〜
僕は、そのまた返しをできない
しばしその余韻の中に心を埋めていたかった
昔の数々の思い出のシーンの中で・・・

物事の判断に、時代性は欠かせない。
いや、そのほとんどが時代に組み込まれ、翻弄されていると言っていい。
自身を語れば、やはり僕の時代は昭和だろう。
昭和に生まれ、育ち、もがき苦しみ、喜びを享受し、幾多の別離を体験した。
やせ我慢じゃなくて、苦しみの無い人生は無意味に等しい。
その時その時を達観して生きて来たわけではないが、他人さまから見て
<世捨て人>的志向と行動であったことは間違いないだろう。
常に、もう一人の自分が斜め45度上から監視(?)していた。
それは、僕なりの解釈では、もう一人の自分は<亡き母>なんだと思う。
この世に居なくても、見つめ、監視し、守り、励まし、助け、時に身代わりに
なる。
その僕の誕生日が明日であり、母の命日が明後日だ。
濃厚過ぎた15歳から25歳までの10年間
その中に僕のすべてが詰まっている
後は付録か?
僕は人生の付録を生きているのだろうか?
脱出、別離、脱出、別離・・・その繰り返し
自分の意志だけとは思えない不思議な力が作用している
彼女の言った「どうして苦しい方へ、苦しい方へ行くの?」は
僕にとっては必然だったんだ
選んだのではなく、課せられた道
そう思えてならない
僕を打ち負かしたと思っている奴は、悲しい道化師だ
僕を助けたと思っている人たちは、見事なまでの脇役だ
それらの上に君臨しようとは思わない
むしろ逆だ
僕は、まだまだ・・・
這いつくばって、這いつくばって・・・生きて行く
遠くに幽かに見えかけてきたトンネルの出口を
この目でしっかりと確認するまで

『臨終のことを先に考えていぬ者に…」
誰もが、人は死んでも自分はまだまだ死なない・・・と思って生きている。
癌告知(ステージ〇)最近の医師は非情に見える。
当人に、いとも簡単、事務的に告知する。
「手術・・・無理ですね。肺が無くなってしまいます。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからが本当の覚悟というものなのだろうか。
自分が告げられたような何とも言えない空気が漂う。
確かに・・・生きとし生けるもの〜いつかは必ず死を迎える。
漠然としたその日が、明日かも知れないと言われて初めて
人間は{死」を実感する。
これからだ!
未練がないと言えば嘘になるが、これからだ。
これからの日々が人生の最終章を書き上げる。
♪愛した人は・・・