彼方からも此方からも
当然の権利とばかりに
督促のメールや電話が入る
僕は、八方塞がりを怖れない
むしろ、どんとこい!と居直っているところがある
やはり、何糞!何糞!の自分が居る
嫌な時代だな...
ほんの一握りの階層の人たちが、社会の代表者のようにもてはやされ
ズームアップの対象となる
ひねくれる訳ではないが、このやろう!の思いが
具体的対象のない空間に跳び跳ねる
這いつくばって、這いつくばって
歯を食いしばって、食いしばって
僕は夜を迎え、唯一安楽の空間に身を任す
夢で逢えるのは誰か
貴方であれ!貴女であれ!
エネルギーを注入してください

たとえ相対的に貧しかろうとも
心まで貧しくなってしまいたくない
むしろ・・・
心は、どこまでも裕で美しくありたい
・・・と思うのであります

「修行とは 苦労を楽しむことなり」 (日扇聖人)
二十歳前後の五年間が、今の僕を形成した。
結婚を約束した彼女に言われた「どうして、そんなに苦しい方へ苦しい方へ
行くの?」それは自分でも説明のしようがなかった。二者択一を迫られた時、
他人から見て、負の方へ負の方へと向かわせる自分がいたのだ。
自虐的でもなく、気まぐれでもなく、意固地でもなく、そうさせるもう一人の
自分がいたのだ。
当時は苦労を楽しむなんて心は全く持ち合わせてはいなかったが、どこかで
それに近い感覚はあったのかもしれない。暗闇の中での未知の世界への挑戦、
或いは興味心、或いは求道心、それらが僕を強引に引っ張って行った。
言葉だけ、思うだけの自分が堪らなく嫌だった。それにしてもそんな自分への
決定打は、やはり、ステッファニー先生だったのだ。彼女(先生)はあれから
どんな人生を歩んだのだろうか?天は、そんな存在の彼女に逢わせてはくれない
のだろうか?
あまりにも長い・・・半世紀を超えた
sea you again
