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常識

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時には・・・

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手遅れ

 政治家と芸能人を同レベルで論じるのは乱暴すぎるかも知れないけれど、敢て言わせてもらえば、政治屋さんも芸能人的仕打ちを受けて当然なんじゃないかな!?いわゆるスキャンダルで追放されたり抹殺されたりする人たちは大勢いるわけじゃないか。それに比べて、政治家は自分が逮捕さえされなければ、それを傘に堂々と大手を振って歩いてござる。
 そこへもってきて、たとえ一票差でも比例復活でも、当選さえしてしまえば、禊完了とばかりに表舞台に復帰してくる。本人も本人なら選ぶ人も選ぶ人だ。同じ価値観の持ち主と言うわけだろう。徹底した利益代表選びということか。
 真っ白の善人だけではこの世は成り立たない。真っ黒も超灰色も何もかもあってのこの世の中だ。その鬩ぎあいで世の中は成り立っている。当局のお世話にならなければ、何をやってもいいじゃないか!的な人間もそこら中にうようよと居る。
 ○○につける薬はない〜と言うけれど、これが世の中だ。これが浮世だ。そうした悪人どもの構成比率が高ければ高いほど、この世は荒れ放題ということになる。世紀末や末法と言った警鐘的言葉も、もはや死語になってしまった。霊的に言って所謂「悪人」のみ生まれ来るこの時代に、希少的存在の人間がどう対処しどう活動しどう拡大してゆくのか?行き着くところまで行かなければ、本当の恐ろしさは分からない。そしてまた、それに気づいた時にはもはや手遅れと言うわけだ。


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ミクロの闘い

 今流行りの言葉で言えば、僕は信仰二世であったわけだが、その宗教から離れてもう半世紀以上が経過した。時の流れは速い。
 既成、新興を含めて、世の中には数えきれないほどの宗教が存在している。信仰の自由という観点から言えば、僕がとやかく言える立場ではないが、否定部分はさておいて、肯定部分を書き記しておこうと思う。

 ひとつは「薬毒論」漢方は対象外として、いわゆる西洋医学における薬だ。熱が出れば解熱剤、痛みがあれば鎮痛剤、こうした対象療法的考えが、受け入れられない。熱や痛みは、体内での正邪の闘いの現れである。昔、ミクロの決死隊という映画があったじゃないか。まさしく善玉が悪玉菌と闘っているのである。その闘いの火花が熱であり、咳であり、痰である。

 もうひとつは、自然治癒能力。動物たちが、病に侵されたとき、ひたすら横たわってその快復の時を待つ。あれだ!少々時間は要するが、刹那的に、薬や注射で抑えこむよりは、はるかに合理的だ。一時的に抑えこまれただけの病原菌は、虎視眈々と次のチャンスを狙っている。

 時間に追われる現代人の隙と言えばそれまでだが、数倍の時間は労しても、根本的に悪玉菌を断ち切ることの方が、はるかに近道というわけだ。
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背景の記憶(313)

♪青い青い月の下で
きみに告げた愛の言葉
好きと言われ
好きと言った
あれは夢か遠い夢か


この老いた体でもなお、心は青春を彷徨っている。この風体、風貌で、貴女に逢わせる顔などないはずなのに。えっ?貴女も同感!って。想い出は、心の奥底に大切にしまっておくべきもの。そして時々、開き見るべきもの。

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魂の抱擁

まさしく、「捨てる神あれば、拾う神あり」で、大袈裟な意味ではなくて、万事休す!の瞬間に、救世の主は現れる。そう言う人を称して「変化人(へんげにん)」と呼ぶと教えられた記憶がある。怠慢や悪事でもしない限り、正直、努力の人を、天は見捨てないというわけだ。

絶妙のタイミングで、これまた絶妙の人から連絡が入る。
これは本当に、天が遣わしめた人と確信できる。
烏滸がましくも、「天」という言葉を使ってしまったが、これは言葉を置き換えれば、亡き父であり亡き母であるに違いない。最も遠くて最も近い人、それが母。人生の大きな分岐点に必ず登場して、僕を正道に導いてくれた母。

僕がいずれ逝った時、魂の抱擁を交わすことができるだろうか?


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戯言

あなた自身がどう思っているか知らないけれど

あなたは、僕の中で

力溢れて生きている

そう、僕の偉大なエネルギー源だ

あなたが反論するであろうその根源は納得済みだ

僕が勝手に作り上げた偶像だと言いたいのだろう

たしかにそうかも知れない

いや、そうに違いない

でも、ややこしい論法だが・・・

それも含めての<あなた>じゃないのかい?

決めつけて申し訳ないが

僕の作り上げた<あなた>としても

あなたはその<あなた>に気付いていないだけなんだよ

そして「逆もまた真なり」

僕自身が気づいていない<僕>が居るんだよ

僕の口癖さ

<己を客観視する>

そう、もう一人の自分を持つべきなんだよ

今の自分と、もう一人の自分が

合体、融合した時

とんでもない<自分>が生まれ出てくるんだ

わかるかな?

わかんね〜だろうな

いつもの・・・酔っ払いんの<戯言>さ

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訥弁

原稿を読むような演説(話)は、相手の心に響かない。

どんなに名文であっても伝わらない。

訥弁であっても、詰まり詰まりの話し方であっても

その人の心情が素直に吐露されたものであれば

必ず相手(聴衆)の心に響く。

原稿ではなくて、相手の目を見て、心に向って話そう。 

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政治

僕はそうは思わないけど、あたかも<政治がすべて>と思っている人は多いよね。

でも、いつの時代の人だって、たまたまその時代に生まれてきたというだけで

自分が時代を選べるというわけにはいかないんだよ。

この世の辛苦、あるいはこの世の栄華は、生まれ持ったものであって、

言葉を換えれば、自らの魂の過去世の因果の表象であるわけで・・・。

さあ、そこでだ・・・この世で己如何にあるべきか!の到達点は、自分が見つける

しかないんだよ。

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心の雨

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