一途に 一本道
馬鹿正直に 一本道
振り向かず 一本道
惑わされず 一本道
蒼空に突き抜ける
一筋の飛行機雲
角度を上げて天空までも飛んで行け
僕は沈んだ心に翼をつけて
あの飛行機雲と同化する
人生の宝は
ドン底の中に落ちている
勝利を表す
VictoryのVは
いったん下がってから
上がっています
いったん、ドン底に落ちてから
這い上がるのが
Victoryなのです
<ひすいこたろう>
その昔、「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいたが、現代もそれに近いな。
ピラミッドのトップに目を向けるのか、底辺のその他大勢はどうでもいいのか?
眼の向けどころがあまりにも違い過ぎる。
それを支持する層も、自分をそのトップレベルと過信してるんだろうな。
上流意識?先端意識?
糞喰らえ!と言いたいね。
○貧乏人とは、欲が多すぎて満足できない人のことです。
○本当のリーダーとは、多くのことを成し遂げる者ではなく
自分を遥かに超えるような人材を育てる者
○金持ちは政治家になってはいけない。
○人間とは何なのか、何度も自分に問いかけた。
○本当に日本人は幸せなのかと疑問である。
○政治とは、全ての人の幸福を求める闘いなのです。
○我々は、あの世に何も持っていけない。
後世に教育を残すのです。
○人生で最も重要なことは勝つことではありません。
歩み続けることです。
○私は貧乏ではない。質素なだけです。
○貧しい人というのは、ものをもっていない人のことではない。
真に貧しい人というのは、際限なくものを欲しがり、
永遠に満たされない人のことである。
ホセ・ムヒカ元大統領(ウルグアイ)
これは僕自身の特性と言おうか、あまり分け隔てのない性分だと思う。意識的でもなく持って生まれたものなのか・・・。親の薫陶を受けたわけでもなく、兄姉も歳が離れていたし、強いて言えば父母からの遺伝的感性なのだろう。
小学生時代、不登校の同級生の家に迎えに行ったり、「あそこへは行ってはいけない」と噂のあった場所にも遊びに行って、ご飯をごちそうになって帰ったりもした。
中学生時代では、秀才君だけど病弱な彼の家に誘われるがままに遊びに行った。殊の外、お母さんに歓待された記憶がある。そしてこれまたなぜか、転校生とも一早く仲良しになった。こちらからのはたらきかけでもなく、なぜか彼らの方から僕に話しかけてきた。夏休みに、故郷の隠岐の島に一緒に帰ったこともある。親の転勤絡みなのか、超都会的な言葉や振舞への憧れも含まれていたのかもしれない。学級委員とかの肩書?とは無関係で、僕の内面的な(世間知らず)特性がそうさせたのかもしれない。
高校時代では、ちょっと不良っぽい女子が近づいてきた。たぶん彼女の親も教師だったと思うが、変に世間に拗ねたようなところがあって、シャツの胸元をちょっとだらしなく開けたような仕草が、悪っぽく見せてるようで妙に可愛かった。授業途中なのに教室を抜けだして、他のクラスの男子生徒と手を繋いで帰ったり・・。
その彼女と還暦の同窓会で再会した時、思わぬことを言われた。「サリン事件の時、ゼッタイ!ワタナベ君があの中にいると思ってた」と。よくよく考えれば、学生時代から、宗教絡みの世界に踏み込んでいるという噂は、同級生たちには知れ渡っていたようだった。
平凡の中の非凡。そんな自分を超客観視するもう一人の自分がいる。
、
この苦しみは 救い
この哀しみは 希望
この寂しさは 光明
全ては対極に位置している
全てを克服した時
円弧の始点と終点が合致する
月の光と影の接点のように
眼も眩む輝きが待っている
自覚
ホントの自分に気付くことだ
何を迷い、何を求めているのだ?
価値のないものを・・・幻覚を追いかけている
意味のないものを、さも意味のあるもののように
価値のないものを、さも価値のあるもののように