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ピエロ

僕は、彼(彼女)に<罰当たれ!>とは思わないようにしてはいるが

必ずや、そうなると確信している。

傲慢、卑劣な奴らには、それ相当の報いがあって当たり前だと思う。

ここで問題となるのは「時」だ。

これは「即刻」の時もあれば、「何十年後」の時もある。

これは、彼(彼女)の問題だから、僕の意見を差し挟む余地はない。

哀れなるかな!・・・である。

僕は制裁の刃は握らない。

まるでブーメランのように、その答えは返ってくる。

僕がわが命を省みず、矢面に立った時、

あなたは、その存在を認識するだろうか?

「無駄死」とはこのことだ。

ああ、解っちゃいるさ。

敢て引っかかったふりをしている。

そうさ・・・僕は子供時代から「ピエロ」さ。



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いつの日にか

振り向けば寂しい
君の住むふるさと
若い日の涙は
明日への涙か
暗闇の彼方に
口笛が流れる
この道はいつの日にか
希望につながる
東の空に陽が昇るまで
とてもとても遠い旅路さ
暗闇の彼方に
口笛が流れる
この道はいつの日にか
希望につながる

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背景の記憶(306)

 アルバイトである配達の仕事を終えて、僕は車を車庫入れした。その車庫の横には、単独業務の作業場があって、丁度業務終了のチャイムが流れて、仕切りのドアが開かれた。そこの業務を一人でこなしていた女性が、後で束ねていた髪を解いた。ふわりと髪が流れるように肩に落ちた。まるで扇子を逆さにしたような美しい光景だった。

 僕の存在に気付いた彼女が振り向いた。思わず軽く会釈をした。仕事中の彼女とは打って変わってちょっと大人びた女性を感じた。「お疲れさま!」かけられた言葉に、僕は軽く会釈をした。

 バイトの身の僕は、社員さんたちとはそれほど深い関係性はなくて、軽く挨拶を交わす程度だったのだが、なぜかしら彼女には特殊な感情が湧き上がるのを覚えた。

 大失恋の後遺症?で、数年間、無意識のうちに異性との距離を置いていた僕だったが、何故かこの時は、その壁が取り払われたように感じた。・・・とは言え、世間的にはまったくのプー太郎、こちらからどうこう言う資格などないと、内心諦めが僕の心を支配し続けていた。

 あの雨の日の傘の事件?以来、何となくその距離は縮められて行って、僕たちは帰り道の半時間、喫茶店で話せる関係に成長?して行った。

 あの頃、何を話したのか思い出せないが、彼女の前では自分を曝け出せる悦びを見出す僕が居た。ただ一緒に居るだけでイイ!そんな感情は何年ぶりだっただろうか?

 進学校の同級生たちのほとんどが、それぞれの大学で勉学に勤しんでいるこの時期、自ら選んだ道とは言え、あまりにも波乱万丈なこの数年間に、僕の心はズタズタだった。もちろん、芯の部分の「自分」は辛うじて保ってはいたが、客観的に見れば、落ちこぼれのプー太郎そのものであったろう。

 真っ暗闇とまでは言わないまでも、世の中の陰の部分を彷徨っていた僕に、突然の如く差し込んできた太陽の光だった。

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自戒

僕の自戒はこうだ

同じ過ちを二度と起こさない

同じ石に二度躓かない

こう意識して生きていると

何と誘惑の罠の多いことか

見極めよ

正と邪

引っかかるな

誘惑の罠

一人の男(女)の成りすましが見えてくる

炙り出された顔に、文章に

真の弓矢が突き刺さる

天誅!

成敗!

さらば!架空の美女たちよ

さらば!夢空間の成功者たちよ


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1対99

人間の価値は・・・<正義感>

灰色に包まれたとき

グレーゾーンに引きずり込まれたとき

毅然とした態度をとれるかどうか

そこにあなたの人間的価値が試される

又しても現出する「1対99」の世界

僕は(1)が立ち位置だ

おそらく世間は(99)だろう

真の友は一人でいい

九十九人も要らないさ

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あなた

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虹色の空間

宝石箱に入れたままの

想い出たち

もう指や首を飾ることなく

ただ想い出色に錆びていく

ふっと息を吹きかけて

そっと優しく撫でてみる

くすんだ錆の隙間から

あなたの笑顔が蘇る

あの笑い声も あの温もりも

僕は駆け出したい

僕は叫びたい

僕は飛び込みたい

想い出という虹色の空間

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「象の背中」

『臨終のことを先に習いて 後に他事を学ぶべし』

                (日扇聖人)



 人は高齢者から順番に死ぬわけではない。仕事バリバリの成人も、学生も、子供

も赤ちゃんも、あるいは胎児さえも、みんな死ぬ時は死ぬ。しかし、大方の人間は

「ひとは死んでも、自分はまだまだ死なない」と思い込んでいる。


 たとえば医師から癌のステージの宣告を受けたり、更には余命何カ月とまで言わ

れたりして、その時初めてひとは「いのち」の儚さを実感する。そしてこれまでの

安易な傲慢な無分別な生き方を後悔するのだ。



 貴重な友が癌の宣告を受けた。ステージⅣらしい。以前から話していて、俗に

言う「延命治療」は受けないと言う。これは僕の考えとも合致している。単純な

諦めとも違う、人生観、死生観そのものの違いだろう。一言で「無駄に・・・」と

は言わないが、ただ息をしているだけの生存は望まないということだ。


 秋元 康の「象の背中」を思い出す。余命宣告を受けた主人公が、級友や初恋の

彼女や、仕事上で関わった人たちを訪ね廻るシーンには共感を覚えた。そしてまた

死期を悟った象は、群れから離れ自分だけの死に場所へと向かうと言う。その高貴

なまでの行動が僕にできるかと問われれば疑問だ。西部 邁氏は自死を選択したが

これとても第三者の手を借りなければならなかった。人間は象のようにはいかな

い。アルプスの山奥で氷雪に埋もれるか滑落でもしないかぎり。

 
 僕は友との約束を果たさなければならない。

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坂道

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三日月の想い

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