「いいか、失敗、シクジリなんて毎度のことだと思っていなさい。倒れれば、打ちのめされたら、起き上がればいいんだ。そうしてわかったことのほうが、おまえの身に付くはずだ。大切なのは、倒れても、打ちのめされても、もう一度、歩き出す力と覚悟を、その身体の中に養っておくことだ」
伊集院 静
親も子も存命で、それが当たり前のように生きている家族は、深い意味で、はたして幸せと言えるのだろうか??ごく身近な所で、骨肉の争いを繰り広げている家族もいる。その情景を外野席から見ていると、意味深な溜息が出る。
僕は、母親の温もりも知らないし、父親や兄姉と暮らした年月もわずかだけれど、僕の心の中には人一倍、彼らは生きているさ。常に、そう常に、彼らから見つめられ続けていることを、もっと言えば、護られていることを実感して生きている。
だから、この娑婆の辛苦は「何をこれしき!」と思って生き抜いてきたさ。他人様が言うほど「修業とは、苦労を楽しむことなり」の実践者ではないが、それに共通するような生き方をしてきたことは事実だ。そしてその内奥には、先述の<母の守り>が厳然と存在していたからであり、父、母、兄姉は、僕と共存し続けているのである。
悲しいかな、人間は失わないと、その有難みを掴めない。